実例 大人の基本 手紙書き方大全/中川 越 ~身をつまされることが多々。~
気持ちのこもった手紙というのを書きたいとは思うものの、なかなか思うように書けないことが多々。
そこをなんとかと思い、読んでみました。
うーん、いろいろと反省するところが多々。
特に年賀状のところですかね。基本、謹賀新年を選んでて問題はないのですが、一言コメントを書くのは、目上の方に書くのはNGなんですね。失礼というか。。。
そういうのぜんぜん知らなかったというのが一つ。
細やかなやらないかんとわかっていながらも、なかなかできていないこともざっくり刺されてしまい、結構読んでて苦しい想いに。
読んでてためになったことを何個か。
というより、明日から仕事で気を付けていこうかなと。
- 本文の一文が長くなる時は、20~25字くらいを目途に、区切りのいいところで途中で折り返します。
- 本文の内容が変わるときは、1行空けて書きます。内容が変わらなくても、3~4行を目途に、区切りのいい箇所で1行空けたほうがよい場合もあります。
この2つかな。
ついついメールで長文を書きがちになるので、気を付けて短文になるようにしていたのですが、それでも見づらいと思うことが多々。
これ読んで、なるほどなと。
だいたい100文字くらいを1段落くらいになるように、かつ見てわかりやすいようにすることがいいのかもしれません。
そうだよなぁ。みやすいメールとかだと、さっと頭に入るけど、見づらいとなかなか頭入らないことが多いし。。。
論文や小説とかをメールでもらっても読むか?というと読む時間がもったいないと思うし。
もうすこし、シンプルに書けるように内容を頭に叩き込んで、理解できるようにしないとなぁ。
駅弁って、本当いろいろ種類があるなぁと。食べてみたいのがたくさんある。
今週のお題「お弁当」
基本お弁当を食べるときは、駅弁であることが多々。
食べるときは、大概新幹線・特急の中が多いかも。18きっぷで旅行すると、普通や快速がメインとなるので、なかなか車内で食べるのが難しいです。
せっかくなので、弁当の写真が残っていないかGoogleフォトをあさってみると、あるんですが、なかなか登録が難しい。
結構いろいろと食べているなと。。。
ということで、今見てもおいしそうだなと思ったのを3つほど上げてみます。
1.仙台駅弁 牛タン弁当
これは牛タンの厚みが非常に印象的です。しかも、あっためる機能の付いた弁当。牛タンをあつあつでおいしい状態で食べれるという。。。
今見ると、肉だらけなのですが、これだけでおなかいっぱいに。
値段は張りますが、一度食べたらまた食べたくなる弁当です。
2.京都 京ごのみ 鶏めし
京都の駅弁で、写真は残っていたというか、銘柄がわかるように写真をとっていたのがこれだけだったので、これを。
京都の駅弁は種類が多くて、いつも買いに行くたびに目移りしてしまいます。行くたびに新しいのが増えているような気もしますし。新しい物好きには厳しい。。。
京都に出かけると、新幹線で行く場合は、帰りに駅弁を買って帰ることが多々。鈍行だとどうしても駅で何かたべてしまってしまいます。また、京都にいってこようかなぁ。。。
世界遺産にいったときのお弁当。写真がきれていますが、よこに移っているみしまコロッケがおいしかったので。
お弁当ももちろんおいしかったです。
こう見ると、駅弁の写真はきちんと残しておいたほうがいいよなぁ。。。とも。
個人的に残念なのが、崎陽軒シウマイ弁当を写真残してなかったこと。うーん、よく食べてるのに。。。
さて、年末のことをぼちぼち考えていこうかな。今年はどこにいこうかなぁ。。。
そして生活はつづく/星野 源 ~日常からよくここまで切り口を見つけられるなぁ。。。~
星野源さんというと、いまや売れまくっている俳優さんであり、ミュージシャン。マルチな才能をもっている方。
その方のエッセイ集です。
個人的には、LIFEやおげんさんのイメージが強いですが。。。
本の中身から行くと、最初の携帯電話料金滞納の話が一番目でインパクト大。いやぁ、だめ人間じゃんと。そこで、そのあとの話がまぁ、あるだろうなぁというのがすらすらと入っていくという不思議。
ただ、その内容でも、自分でもあるあるというか、ちょくちょくやらかすことがあるので、親近感がわいてくることも。
孤児院的に、本編よりもあとがきで書かれているこの言葉が印象的。
「なにげない日常」の中には「なにげない日常」しかない。素晴らしいものなんてない。その中から素晴らしさ、おもしろさを見いだすには、努力と根性がいります。黙ってても日常はおもしろくなってはくれない。見つめ直し、向き合って、物事を拡大し新しい解釈を加えて日常を改めて制作していかなきゃならない。毎日をおもしろくするのは自分自身だし、それをやるには必死にならなきゃ何の意味もない。
一生懸命生きなきゃ毎日はおもしろくならないってことだ。
何気ない日常が素晴らしいというけど、それを素晴らしいと思うには、いろいろと努力がいる。それをざくっと切り込んでいていいなと。
毎日を一生懸命に生きる。これってなかなか難しいけど、やっていくことが大切なんだろうなと。
自分も病気から退院した後、そういう気持ちでいました。通院することもあり、大変でしたけど、普通に生活すること自体が新鮮で非常にうれしかった。何気ない日々ってすばらしいなと。それからしばらくたつと、当たり前になると欲がでてきて、物足らないような日々が。
そうなってしまっている今の現状を考えると、この言葉通りに新鮮と感じれるように必死に生きていく必要があるのだなと。
毎日をよくある日々の繰り返しと思い、惰性的に生きていくのではなく、日々を新鮮な気持ちで向き合っていく。そういうことも大事なのではと。
仕事していると、順調な状況が続くと、ついついよくある日々と思ってしまいがちですよね。特に、何も起きない通常の日々が続くと。。。理想的な状況なんですけどね。刺激的な日々のほうが楽しいけど、疲れちゃうんですよね。ないものねだりなのかもなぁ。。。
何もない日々の中で、少しづつ変化を起こしていけば毎日が変化のある日々になる。そういう工夫や努力が必要なのかもしれません。
お不動さん巡りと一の宮巡り 8月分 その2 ~大神神社と尊徳寺~
前回に引き続きお不動さん巡りの2回目です。
まずは大神神社へ。
ということで、2つとも回っていくことになります。大神神社はひっそりとした神社。地元の神社という感じもしますが、どこか気品あふれる感じです。
手水場に行き、まず清めます。
よく見る龍の形。
大神神社の本殿。ピンクの本殿は初めて見た気がします。
実は、ここでは御朱印はいただけないことが多いそうです。
今回は、神主さんのところへお伺いして御朱印をいただきました。場合によっては、大神神社の境内にある社務所で書いてあるものをいただけることもあるようです。
ネットで見る限り、ここはなかなか大変なところのようです。
その次に、お不動さん第4番 尊徳寺へ。
まずは門から入ってお参りです。
中に入って、経本をもとにお経をあげてお勤めを。
中を見ると、入口で見るよりしっかりとした作り。
こう思うと、お不動さん巡りって結構される方多いのかな?とも。。。
お経をあげたのち、御朱印をいただいて次に移動です。
前回と、今回のは基本的に一宮市が中心でしたが、次は犬山市へ移動です。
しかし、一の宮巡りを思いつきのように始めてみましたが、結構広範囲に広がっていたり、御朱印がいただきにくいところがあったりと結構大変です。
もともとは100名城めぐりだけだともったいないからというので始めたつもりが、いまや100名城よりも一の宮巡りを中心に考えてしまっているという。。。
ちょっと大変な感じですが、ちんたらまわっていこうかと思います。とりあえず、佐渡、壱岐、隠岐、対馬あたりをどのタイミングで回るかが大変な気がしてきてます。。。
今回はここいらでおしまいです。
仕事が速いお金持ち 仕事が遅い貧乏人/午堂 登紀雄 ~仕事がくるようにするのも大事なんだよなぁ。。。~
読んでの感想ですが、仕事が速い人、仕事が遅い人というよりも、仕事の心構えの本かなと。
結局、何を優先するか?ということかなと。自分の仕事で優先すべきことを明確にして、それに向かって多少のロスをしても突き進んでいける人間が仕事が速く、成果を出せる。優先すべきことをあやふやにしてしまうと、突き進むべき方向が間違えてしまうか、ロスを嫌い、引くことができず、仕事が長引いてしまい、成果がなかなか出にくくなる。
自分の仕事で優先すべきなのは何なのか?をどう見極めるか。というのが課題となる。これがなかなか難しい。周りとの合意形成も必要ですからね。
あとは、他人から仕事の相談が多く来た場合、断るか、それとも引き受けるかの二択となります。その際のスタンスとしては、本書としては、次のように書いてます。
無理そうでも引き受け、時間やスキルなどの制約がある中でなんとかしようという姿勢は、クリエイティブそのものだといえます。
ただ、なんでも引き受けると単なる便利屋という状況になってしまいます。そこをうまく断りつつ、本当に引き受けるべき仕事を受けていく。そこの見極めが必要となる。
一心不乱に仕事に取り組むことです。忙しそうにしている人には、雑務を気軽にお願いできる雰囲気はありません。相手からは「こんな簡単な雑務をお願いするのは申し訳ないな」という印象を与えるからです。
そして依頼されるのは、その人にしかできない重要な仕事だけに収斂されていきます。
もうひとつは、単に相手が面倒くさがって仕事を振ってきているのか、それともその仕事をやるのは自分が適任だと思われているからか、相手の真意を見極めようとすること。そして前者であれば、相手を「教育する」という発想を持つことです。
仕事で忙しくしていると、まわりから仕事をふられることが減っていきます。若いからというのも減っていく。遠慮するのがわかるんでしょうねぇ。
仕事を断りまくって、仕事が来なくなり浮いてしまうよりも、仕事が多忙で、仕事をもってきづらい状況を作ったほうが、そのあとの仕事がくるかどうかが決まってくる。そう思えてきます。
現状確かに多忙な状況に突入したら、雑用が一気に減りましたからねぇ。こういうのは作戦としてありなんでしょう。
ただ、この状態をよしとせず、いかに労力を低く抑えて同じ成果を出せる環境づくりをするか?というのが大事になっていく。その手段がAIなのか、それとも仕組み自体なのか。それはその人が考えている答え次第なんでしょうねぇ。
個人的には仕組みとして残しておいたほうが、後の人への伝承していくのに楽になっていくのかな?とも思ってますが。。。
折を見て何度か読み直してみてもいいかも。
お不動さん巡りと一の宮巡り 8月分 その1 ~真清田神社と地蔵寺~
18きっぷの旅が一通り終わったので、お不動さん巡りを開始です。
東海三十六不動尊霊場巡りで、東海地区のなので、愛知・岐阜・三重の3県をうろちょろと。
くまなくではないので、なんとか頑張れば今年中に終われそうかな。
今年は酉年で、酉年の守護本尊が不動明王ということでも。
さすがに、スタートが遅いので急ピッチで進めないと。。。というのもあります。
せっかく一の宮巡りもしているので、この3県のもあわせて回れればという気持ちも。ただ、なかなか難しいところもあるので、気にせずにという感じですかね。
尾張一宮からスタートです。
尾張一宮のコンコースにこの方が。一の宮ということで138ですか。名前はいちみん。
まずは尾張一宮 真清田神社へ。
尾張の一の宮って、熱田神宮と思い込んでましたが、熱田神宮は三宮。一宮巡りして初めて知ることが多いです。。。
てくてく歩いて移動です。
本殿が立派。さすが一宮だなと。
手水場で清めてから訪問です。
そして、お参り。このあと御朱印をいただきました。
真清田神社のあとは、第3番 地蔵寺へ。真清田神社の近所にあるので、移動自体は非常に楽です。
お参りのあと、御朱印をもらいにいきます。
大きく立派なイチョウの木。
今回の東海三十六不動尊霊場巡りは、御朱印帳に印をいただく形になります。ただ、お寺によってはない場合があるので、御朱印帳自体は1番札所等で購入したほうがいいかと思います。今回は事前に購入しておいてからの行動となりますので、地蔵寺からのスタートでした。
東海3県ということで、気が楽なのですが、今年中に回りきるのは、さすがにハイペースでいかないと厳しいですね。。。
沈黙の王/宮城谷 昌光 ~沈黙の王に関しては短編集でなく、1冊でがっつり読みたかった~
以前に読んだ本が電子書籍化されていたので、購入。
宮城谷昌光さんの作品は結構読んでいる気がします。ちょっと説教くさく感じるときもありますが、それ以上に多くの登場人物の考え方が見えてくるので、そちらの面白さが上回ってます。
登録している読書メーターを見る限り、最大が吉川英治さんの作品で7作品ってなってますが。。。登録し始めたのが1年くらい前なので、ここ最近の乱読で薄まっているだけな気がします。
まぁ、ここいらはこれから登録を続けていけば、傾向がどんどん見えてくるのでは?と思ってますが。。。徐々に読み直したときも含めて徐々に登録を続けていこうかと思います。
さて、本作の話ですが、短編集です。5作品入っていて、だいたい各作品10-20分で読み終われますので、ちょっとした空き時間に読むことが可能。
個人的に読んでた作品の中では、最後の叔向の話(鳳凰の冠)が好きです。人としてというよりも、栄枯盛衰の中でどういう佇まいでこうどうを起こすのか?というところが特に。自分の身に危険がおよんだときに、逃げるのではなく、身の潔白を証明することを考えて行動したりとかのところはなかなかできるものではない。さらに、自分の身の潔白を示すのに、そう仲もよくない人物、ただし信念で動ける人をあてにしたりとか、読んでて憧れるというかなんというか。
兄である伯華との話ででてきた内容で次のがなかなか奥が深いかなと。
寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない、と。
これって、深いですよね。
あと、もう一つ。
人には容(すがた)というものがある。人は他人の容をみて、その人の内容を察するのである。
容が端しければ、内容も正しいとみる。
この言葉、他人に仕事を説明するときのことを考えるとわかる気がします。やはり、しっかりと容姿も考えないといけないんでしょうね。やる気というか覇気というか、さらには清潔感も。。。
うーん、難しい。
あとは、褒似関連の2作品が読んでいて面白かった。特に、自分の身をかけて守ろうとしつつも、家を残すための行動も忘れていなかった友の話が非常によかった。
タイトルになっている沈黙の王の話は短編集ではなく、思いっきり一冊分くらいの内容で書いてほしかったなぁ。
もともと1990年代にだされた本。今読んでも当時とは違う受け方ができるという意味で新鮮な感じで本を読めたのが収穫です。