Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

貧乏するにも程がある 芸術とお金の“不幸"な関係/長山 靖生 ~自分らしく生きるのってあこがれます。。。~

自分らしく生きたいという想いをもつことがあります。

ただ、現実的に考えると、それは無理だなとも。食うに困るし、そのあと金のやりくりに困ることになりますから。

それなら、どこか心の中に折り合いをつけていって、現実を受け入れていく。そういうのが大事なのかなと。

 

この折り合いをつけずに、自分らしく生きる側に思いっきり振り切った方々に芸術家や作家が多くいて、その事例を本書で見ていると、こういう本であるから面白く読めるわけですが、近くにいたり、身内にいたりすると大変。離れているのが一番なんですけどね。

 

自らの目と精神は、自ら作りあげるよりほかに獲得する道はない。そして「自分らしさ」を見つめる以外に、本当の自分を所有する方法はない。

本当の自分ってなんだろうって思うことがたまにはありますが、それは何かをしながら見つけていくのが大事なんだろうなぁ。。。

 

 結局、自分らしさを求めるのには、飢えないようにしたうえでどうするか?

問題は、それぞれの人間が一つ目のパンで自分の上を凌いだ後、次に何を欲するかだ。それがその人の人生を決定する。

 

パンより文学。生活の安定よりも自由の確保。飢えて死なない範囲で、自分らしく生きたい。そういう「自由」を求めての個人戦があってもいいのではないか。

 

一番気になるのはこの一言。

「頑張っている人が報われない社会はおかしい」。これは一見すると真理と思える。でも、どう頑張っているのかで、「報われ方」が変わってくるのは仕方がない。

頑張っているからというのがおかしいんだよなと。頑張るところが間違っているところがある人もいる。

それも含めて、頑張ってるから報われるというのはおかしいんじゃないかなと。場合によっては、損失につながっていったり、損失を広げていくの場合もありますから。

そう思うと、頑張っているから報われるというよりも、報われるように頑張っていくというふうに発想の転換がいるのだろうなと。。。

 

それにしても、自分らしさを求めていくのになかなか難しい。。。 

 

 

2018年末の室戸旅 その2 ~室戸廃校水族館 後編~

 

室戸廃校水族館の続きです。

 

目の前でいかが泳いでいるのをみつつ、写真を撮りまくり。

 

アオリイカだったかな?よく覚えてない。。。

 

そして、エイ。

 

ちかづいていても動かないので。

口のところが顔に見えるのが不思議なんですよね。。。

 

上からみるとこんな感じ。

スマホを落とさないかドキドキ感がはんぱなかったです。

 

そして、タカアシガニ

深海の魚がいました。どうも、海洋深層水をとるところから入ってくるそうで。それを捕獲したのをもらっているようです。

 

さきほどの説明の。。。

 

イメージはこんな感じ。

 

そして、家庭科の教室。

 

理科室の黒板もなかなかいいけど、ここにはカメの甲羅があって背負うことが可能です。

 

こういうのをみると、あんまり気にしてないけど大事にしていかないとなと思います。

 

あと、手洗い場に金魚が泳いでいたりするのが面白い。

いたるところで魚がいるのが不思議ですね。

どこか不思議なところへトリップしているような感じです。

 

そして、立ち入り禁止がこちら。

こういう細かい気づかいが面白いです。

 

室戸廃校水族館はひじょうに面白かったです。

こういう遊び心のあるところがいいなと思うところです。

 

また行く機会があればいってみたいです。

残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?/中原淳,パーソル総合研究所 ~がんばりすぎてもつらいんだよね。。。~

昨今言われている働き方改革

その中で言われてくるのが、いかに残業を減らすか?

ただ、残業を減らすとなると、どうしても残業を減らすということに着目してそれが主体となっていってしまいます。

そうなると、残業を減らしてしまうけど、仕事は残っていくので処理しきれなくてたまっていくか、持ち帰りとか。

持ち帰ったら持ち帰ったらで、それは残業と変わらないわけで。会社によっては持ち帰ることすらNGとなっているところもありますからね。

なかなか世知辛い世の中になってきています。

 

狙いは、働き方や仕事の仕方を変えていき、結果として残業を減らして、空いた時間で自己投資や家庭生活に振り分けてもらって、ワークライフバランスを考えていく。

 

そういうのを考えていくと、いかにデータに基づいて取り組んでいくか?というのを考えていったほうがいいのかなと。

データに基づくというというよりも、実態をしっかり見て、自分のいる場所をがっちり把握して、その上で世間の傾向を見ながら判断・対策をしていく。試行錯誤しながら進めていくしかないんだろうなと思います。

 

部下の残業時間の長さに影響するのが、次の3つ。

  • 若いころの長時間残業経験
  • 業務時間中の喫煙
  • 早い出世経験

最後の出世経験は、成功体験からくるものなのだろうなと思います。自分がやってうまくいったものが正しいというのが刷り込まれて行きますから。

そうなると、成功体験の復讐か。。。

昔は、どうだったとかいうのも、もう言わない、言われても無視するくらいでいかないといけないんでしょうかね。

過去のものに縛られていて、そこから抜け出せないのだろうなと。

 

そして、残業体質を引き継いでいく上司側マネジメントの傾向として、次のことがあります。

  • 自分の仕事が終わっても職場に残る
  • 時間をかけて仕事をする部下を評価する
  • 優秀な部下に優先して仕事を割り振る
  • これまでの慣習ややり方に固執する

 これらの特徴があると、引き継いでいくようで。。。

仕事が増えてくると、少しでも効率よくやろうとして、優秀な部下に仕事を割り振っていく。そうなると、チーム間に仕事のムラが発生する。不満もたまるようになるし、全体的なモチベーションも下がっていく。

そうなると、どんどんパフォーマンスが下がっていく。

これらのことを考えていくと、チームで仕事を受けていくふうに変えていかないとダメなんでしょうね。

そして、人材を育てていく。

 

まぁ、上司ががんばりすぎると、残業が増える傾向があるのだけれども、適度にしている上司との成果の差はでてこない。

そう考えると、適度に力を抜いていくのがいいのだろうなと。

同調圧力というのが非常に恐ろしい。

あと、がんばりを評価するのもおかしいんだろうな。がんばりすぎても成果がでなかったら意味がないわけだし。

がんばりよりも、仕事の進め方とかをきちんと評価していったほうがいいんだろうと思ってます。

 

て、こんなことを考えつつも、生活残業をする人もいるから、そこいらはきちんとしていかないといけないんだろうな。。。

ここらは、会社の給与体系の話にもなるから一般サラリーマンには対応しきれないところなんですよね。。。

 

とめどもなくだらだらと書いてしまったような。

ここいらはずっと答えがないけども、答えをだしていかないことだろうなぁ。。。

残業学?明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?? (光文社新書)

残業学?明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?? (光文社新書)

 

2018年末の室戸旅 その1 ~室戸廃校水族館 前編~

年末にテレビにでていて気になっていた室戸廃校水族館へ行ってみました。

higashi-kochi.jp

もともとある廃校した建物をそのままに、水族館となるよう改良を加えていたので、プールにカメが泳いでいたりと非常に面白い。

おさかなは、漁師さんが捕まえて出荷しないものをおいてあるそうです。

 

金額も、600円(大人)と安くて良心的。

普通に水族館いくと2000円くらいかかるところ多いですから。。。

 

ということで、写真をぺたぺたと貼っていきます。

 

場所は、高知市から2時間くらいかけての距離です。高知市からちょっと遠いのが難点ですかね。。。 徳島からきても遠いので、どちらにしろ距離があるというのが難点。室戸はジオパークもあるので、興味があればじっくり楽しめるところなんですけどね。

 

室戸廃校水族館につくと、車が多数。高知県外の車が多かったような。自分も高知県外なので、そのうちの1台です。

 

見た目をカラフルにしていますが、昔はどうだったんだろうなぁ。

 

そして、入ると受付で入校料を支払うと、この案内図。

図書室とか理科室ってなつかしい。。。

 

階段の前にこの椅子。懐かしいですねぇ。

 

まずはプールにいきます。時期も時期なので、スノーマンがお出迎え。なお、スノーマンが魚釣りもしていたりします。

 

プールをみると、シュモクザメが。このハンマーヘッドを間近に見れるのが面白い。

 

そして、よくみるとウミガメ。

 

サイズ的にはそんなに大きくないんですけどね。じっくり見入ってしまいます。

 

校舎にもどってふとみると、視力検査で使用するものが。手前には身長や座高をはかるものもあるし。

 

そこからぐるっとまわっていくと、カメが泳ぐ水槽。

 

そして、伊勢エビ。

 

転入生とか気が利いてて面白い。

ただ、そのよこに海鮮丼をのせるシュールさもまたいい。

 

さて、次回へ続きます。

医者とはどういう職業か/里見 清一 ~働きすぎだろと思ってしまう~

医者というとすごい職業という感があります。

社会的地位もあり、高い給与をもらい、さらに学校の成績も優秀。そういうのを見ると、仰ぎ見てしまうところも。

ただ、病院の医師の勤務状況を知ったとたん、その経緯もむしろふっとびましたけど。

最近、研修医の残業時間の上限の話がニュースにでてましたが、年間残業時間の上限1900時間って。。。

年間労働時間ではなく、残業時間ですからね。

通常年間労働時間って、2000時間くらいと考えると、時間的に人の2倍働けということ。

さらに、年間の休日も10日未満とも本書で書いてありましたから、よほど高い理想をもって、そこに殉じるくらいの気持ちがないと無理だろうなと。

個人的には、この残業時間は恐ろしすぎる。厚生労働省がだしている過労死ラインの80時間(年間960時間)をはるかに超えてますからね。

 

そういうのを見ていると、仮に医者になれるくらいの学力があったとしても、自分には無理だなと思うとともに、そこまでやったうえでの高い給与であるなら、自分らしく生きていくということができる普通のサラリーマンでいいかなと。現状に満足できる気がします。

 

ただ、猫も杓子も成績のいい人は医学部にいくというのも変な世の中だよなと。人にあうあわないもあるのだから、一度社会にでてからもう一度自分の好きな道に進み直すようなセカンドキャリアというかそういうのに寛容な社会になってもいいのではないかなとも。

頭の良い奴がみんな医学部へ行って医者になる、というのからしておかしい。理工系だって法文系だって、秀才は必要だろう。そしてまた、なった奴がそろいもそろって「やめておけばよかった」とこぼすのは、ただごとではない。

適材適所となるような社会になっていかないといけないんだろうなと。

でも、医師不足がいわれてますから、よりAIとかの導入が進みそうで。。。そうなると、医師不足が一気に医師余りとなるかもしれませんし。

 

といっても、働いてて思うのは、学校の成績優秀でも仕事ができるとは限らないから不思議なものだよなと思います。

 

なんかそんなことを考えながら、自分の残業時間を適度にしていきたいなと考えてしまった。。。 

医者とはどういう職業か (幻冬舎新書)

医者とはどういう職業か (幻冬舎新書)

 

2018年冬 18きっぷの旅 関東旅 その10 ~100名城 佐倉城~

前回に本佐倉城をめぐったので、次は佐倉城へ。

 

もともとは江戸時代につくられた佐倉城は、明治時代に廃条令で廃城になったのち、陸軍の駐屯地がおかれた経緯があるようで、天守等の遺構は特になし。

佐倉城 - Wikipedia

 

ただ行ってみての思うのは、遺構がなくてもその城のすごさはよくわかるなということ。

堀の形とか見ていると深いし。ここを攻めようとしたら結構のリスクを背負いそうで。。。

そういうのを狙っていたんでしょうが、なかなか。。。

 

ということで、写真をぺたぺたと。

 

まずは佐倉駅からてくてくと。(京成電鉄のほうです)

 

道中少し迷子になりつつも、どうして迷子になったのか?いまだに不明。

きっと疲れてたんだと思う。。。

 

そして到着すると、土塁の文字が。。。

 

国立歴史民俗博物館がありますが、いったときはお休み。

時間があれば見てみたかった気もしますが、そこは仕方がないかな。。。

 

曲輪の跡をみながら移動。

 

この馬出とかすごい。結構深いんですよね。

 

そこをみたあと、てくてくと散策。

 

広い。

 

天守跡に到着。

 

天守跡のまわりを歩いてみました。

 

そのあと降りてから、スタンプの場所へてくてくと。

 

だいぶ夕刻の風景にかわっていたので、早々に戻らねばと少し焦りが。。。

 

そして、スタンプ置き場に到着。ようやくですわ。

 

このあと、18きっぷで帰るために、東海道線へ。

そのあとは沼津からホームライナーにのって一気に浜松へ。

 

そのあとは、無事に最寄り駅に到着して、今回の旅もようやくおしまいです。

 

振り返ると、結構盛り込みすぎだったかなと。

初日の失敗が大きかったかなぁ。もしくは初日に鹿島神宮のほうへむかっていれば、もう少し余裕ができたのかもと思ったりも。。。

 

下調べをしたりして、少しでも有効にできたらよかったのにな。。。

〈生命〉とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術/岩崎 秀雄 ~ゴールははるか先なんだろうなぁ~

生命ってなんだろう。

それに近づいていくためのアプローチが生化学。

生化学は、文字通り生物に関する科学的アプローチ一般を意味します。

 

この目的と言うのが、生命が何かを解明していくこと。その行く先にあるのが生命を作るということ。

生命がどのような存在なのか、どのようにして生き物らしい振る舞いをするのか、その見取り図(設計図)を把握しようとする試みが、自然科学としての生命科学の本流であることは間違いありません。

 

ただ、生命を作るという目標。漠然としすぎているなと。

ゴールって漠然としていると、大概ろくなことがないというか。明確なものを作るというのが難しい。

ボトムアップ型の人工細胞や人工生命については、「どこまでつくれば細胞あるいは生命と認めるのか」が必ずしも自明ではありません。そこで、「万人が認める(人工)細胞」「万人が認める(人工)生命」をつくることはできるのか、と考えてみましょう。

「細胞を創る」研究会でこの話をしたとき、僕たちの共通認識は、万人を納得させるものはできず、数割の人たちが「これなら細胞と認めてもいいんじゃなかろうか」と思い、それ以外は「これは細胞は言えないだろう」という状態がずっと続くだろう、でも、だんだんと納得する割合が漸近的に増えていくようになるだろう、ということでした。

 

このゴールを定義するときには、客観的にデータに基づいて作らないといけない。

ただ、人間であるがゆえに、自らと同じものを一から作るとなると、なかなかの抵抗感がでてくるものと考えられます。

昨今のAIの開発が進んでいますが、結局は同じことが起こっていくんだろうなと思いますし。。。

「生命」は自らを含むがゆえに、完璧に客観的にとらえなおすことを拒む存在でもあり、常に関心を持ち続けざるを得ない対象です。生命科学やバイオテクノロジーはそのための1つの(あるいは複数の)方向性を示すものです。それは今なお道の、人間や自然をめぐって常に流動的で社会的で思想的で歴史的な、要するに人間的な営みにほかなりません。

 

 こう読んでいくと、生命を作るということは単純なようでいて単純ではない。モノづくりという観点から考えるとほぼ同じような感じがするのですが、客観的にとらえられるかどうかの違いというか差分が大きすぎる。

 

この自分たちを客観的にとらえるというか不明なブラックボックスがある状態で物事を考えていくというのはなかなか難しいところだなと。

そんなことをふと思わされます。

 

うーん、今回は引用が多すぎる気がしますが、どうにも話をつくりづらい。。。