Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

海賊の日本史/山内 譲 ~海賊にはいろんな役割があったんですねぇ。~

村上水軍の娘を読んだり、先日に大島から能島城跡をみたりとしていたので、興味があり、読んでみました。

 

海賊というとどうしても、ワンピースのイメージがありますが。。。そことは違うそうです。

 

海賊には、いろいろと種類があるようです。

海賊には、少なくとも四つのタイプがある。すなわち略奪者としての海賊=土着的海賊、権力への敵対者としての海賊=政治的海賊、安全保障者としての海賊、水軍としての海賊である。そして、これらの各タイプの海賊は、互いに密接な関係を持ちながら存在していた。

藤原純友の乱とかは、政治的海賊ですが、もともと藤原純友って摂関家に近くエリートといってもいい家筋。そこが反乱を起こしていったというのが興味深いところです。

 

それと、村上水軍の衰退が、秀吉が天下統一してからの海賊への取り締まり強化となってからというのが面白い。

海賊禁止令が二度でているのも興味深いし、官僚たちと村上水軍や小早川とのやり取りがあって、いかに穏便に済まそうかとしていたのかも面白い。結局は秀吉のしるところとなり、海賊禁止令が二度でて、海賊行為禁止となっているのがなぁ。

こういうのを見ていると、もともとの生活の糧を中止されたときにおこることは現代とかわらないというかなんというか。。。人間ってある意味進歩ないなと。

ただ、その後は水から離れたりして。。。どこか寂しいものを感じます。

 

それにしても、藤原純友の乱村上水軍とかってことを考えると、瀬戸内という土地は、どうしても海運が必要となるところであり、そこの航行の安全をつかさどる人々がいたというのも納得できるところがあります。

 

 普段見ない方向から見ている感じで面白いというのが感想です。

海賊の日本史 (講談社現代新書)

海賊の日本史 (講談社現代新書)

 

華栄の丘/宮城谷 昌光 ~人は大事にしないとなぁ。。。~

春秋時代の宋の華元の物語。

華元というと、戦闘中に敵国につかまってしまい、勝ち戦がふいになったことがあるという人物。

その原因が従者にだけ羊肉を与えなかったから、従者がぶちぎれてしまったため。周りが食べているのに自分だけ食べられないということがどれだけ屈辱を与えているのか?というのがわかります。食べ物の恨みというのは恐ろしい。。。

ただ、そのあと無事に解放されて宋に戻っていますが、それまでの行いがよかったからというのもあるんでしょうねぇ。。。

従者に羊肉を与えなかった理由は、従者の名前に羊の文字が入っていたから、縁を担いでというもの。

うーん、それで与えないというのもなぁと思ってしまいますが、それは現代的な考えなのかもしれません。

むしろ、羊肉をみんなに振る舞うのではなく、他のものを与えたりすればいいですし、それ以外の食べ物を従者に振る舞うとかして気をつかってあげればよかったのになとも。

 

この話を見ていると、部下にも十分に気を使わないと、あるときに反逆にあうということなんですよね。特に、食べ物に関することは恐ろしい。。。

 

身の振り方というのは結構参考になるんですよね。

乱につけいって利をとれば、その利が刃となっておのれを刺すことがわかっている。

もめ事に首をつっこんで、自分がいいように動いてしまうと、どこかにしっぺ返しにあうとか、なるほどなと。

 

仇敵を来れせば障害が消えるというのは嘘である。そのときつかった力が、かならずおのれにはねかえってくる。殺せば、殺されるのである。だから、人に徳をほどこすのがよい。

あと、敵がいなくなくなっても、どこかで逆襲されるのか。。。恐ろしい。。。

 

たとえ悪心をもっていても、うわべの善行をつづけ、生涯をおえれば善人なのである。

これがある意味真実かなと。

 

新装版 華栄の丘 (文春文庫)

新装版 華栄の丘 (文春文庫)

 

暦のたしなみ ~しきたり・年中行事・季節のうつろいまで~ /小笠原 敬承斎 ~季節の変化を楽しむような生活をしていきたいなぁ。。。~

自分自身、礼儀作法がどうのこうのいえる立場ではないのですが、ちょっと気をつけないとなと思うところが多々あります。

そもそも礼儀作法というものは、人々がともに快適に暮らすための基準です。その基準が崩れると互いに不快なことが重なる社会となり、人々のこころからゆとりが失われ、人間関係は円滑ではなくなります。

人間関係でちょっと疲れることが多いなというのは礼儀作法が乱れているからかもしれません。

 

あと、物事を楽しんでいくのにこういう見方もあるのだなと。

完璧なものを最上とするのではなく、あえて足りない部分を自らのこころで埋めていく余地を残しておいたのです。

季節を楽しむとなると、紅葉とか花見とかというイメージになりますが、その過程を楽しむというのも大事なんですねぇ。

花見であれば、桜が徐々につぼみが膨らんでいっているのを楽しんだり、新緑であれば、勢いが変わっていくのを楽しむ。紅葉も徐々に色づいていく姿を楽しんでいく感じで、「先取り」を楽しむ。

桜が散ったあとの姿で楽しんでみたり、紅葉後のちった葉の絨毯を見て楽しむとか、「名残」を楽しむ。

こういう余地の多い楽しみ方というのはなかなかできることではないんですけどね。これができるということは、心に余裕やゆとりがあるということなんでしょう。

心にゆとりがある、それがどれだけ大事なことかなと。

それに、日々の変化を楽しめるようになるといろいろと飽きることなく生きていけそうな気がします。

タイムラプスの1週間版とかをしていくというのも面白いんだろうな。。。それをすると、一年の変化というのを見えていくわけですし。そういうのも楽しいんだろうなぁ。。。

 

あとは、言葉遣いには気をつけないとなぁ。。。 

カラー版 ハッブル望遠鏡 宇宙の謎に挑む/野本 陽代 ~望遠鏡を宇宙に持ってくこと自体がすごいことだわ。。。~

宇宙。

興味がつきない世界かなと思ってます。

もともと中学時代に、将来は宇宙に関する仕事に取り組みたいなと漠然に考えていて、その後の人生に影響を与えたといっても過言ではないですから。

ただ、その夢はいろいろとあって無残に砕け散りましたがね。。。それはそれでいい思い出と言えばいい思い出。

今の道に特に不満があるわけではないですし、宇宙のことには興味を持ちつつ生きている感じですかね。

 

そんなことを思い出しながら、本書をめくっていきました。

やはり、ハッブル望遠鏡で撮影されている画像はすごいの一言につきます。

ガス雲なんて、宇宙に存在しているのか?と思えることすらも写真で存在しているわけですし、地上からだと空気の影響で遠くまでくっきり見えないものが、宇宙に望遠鏡があるからこそ、くっきりと見える。その差がまざまざと見せつけられている感じがしてすごいなぁと。。。

 

ハッブル望遠鏡で撮影された写真を見ていると、地上からは点のようにしか見えない星とか暗黒にしか見えないところにも見えないだけで星が存在しているということ。

そして、光の距離で100億光年とかきいたことのないような距離のものでも観察ができるということ。

 

それにしても、ハッブル望遠鏡が作られ、そして最初のトラブルを超えて、本当の性能を引き出すまでの戦いというのが非常に面白い。

特に新しいことは、成果を出さないと認められないことが多いから、慎重になりすぎてしまうし、何か起こった時におたおたしてしまうことも多々。何かトラブルがあったとしても、そこでダメだと思わずに、現状できる最善のことに取り組むということが大事なのだなと。

そんなことを思いながら、自分を振り返って、すぐ匙を投げたがっている姿が思い浮かんでしまい、ちょっと自分に喝をいれた次第です。

 

ちょっと疲れてきたら、この写真をちょっと開いて見て、また力をもらおうかな。。。

カラー版 ハッブル望遠鏡 宇宙の謎に挑む (講談社現代新書)
 

どこでも誰とでも働ける――12の会社で学んだ“これから"の仕事と転職のルール /尾原 和啓 ~こだわりを徹底的に極めるか。。。~

会社を12回も変わっているというのは、なかなかできるものではない。

というより、それだけ求められて転職できるのってすごいことだと思います。

 

この本を読んで、ちょっと自分の市場価値っていくらぐらいなんだろうな?と思ったり。。。でも、なかなか勇気もてないですしね。

 

仕事を進めていく上で参考になったのは次の2つ。

努力を続けていても、なかなか進まないと思って、芽がでないとみてやめようかなと考えてしまうことが多々。

諦めずに努力を続けると、あるレベルを超えた瞬間、急激に伸びます。たいていの人は、そこまで努力できません。99.5%努力して、諦めてしまう。残りの0.5%、最後の最後まで粘って努力し続けた人だけが、結果をごっそり独り占めできるということです。

もう少し続けていくことで、成果が出始めたら一気にというのはよくあること。どこか突破すると、一気に進んでいく。

そう思うと、続けていくということが大事なんでしょうね。。。そのためにも、目的を明確にして、自分の信念としてやっていくしかないのかもしれない。

自分自身が腹落ちして、やりきるとかの覚悟がなければ、そこまでできるものではないですから。

 

そして、もう一つ。

残りの20点の余地にどれだけリソースを投入できるかで競争優位が生まれるのです。ほとんどの人はそこまでやらない。手間ひまかけて80点を90点に上げるより、別の分野で手っ取り早く80点をとろうとするからです。だからこそ、非効率的だとわかっても、80点を90点に、90点を100点に近づける努力を重ねるわけです。そこまでやった人だけが、ライバルに圧倒的な差をつけることができるのです。

ゴール地点を8割できて、ここからは大変な領域だと思うところですね。ここを満点を目指す努力をするかどうかは、そこが強みになるかどうかなと思います。

すべてを100点満点にはできるわけではないですから、抑えるべきところは80点にしておいて、こだわりのポイントは徹底的にこだわり100点満点を狙っていくというのが大事なのかなと。むしろ、驚きの点を考えれば、100点以上を狙っていくというのも必要か。。。

効率ばかり重視するのではなく、こだわるところは徹底的にこだわる。そういうメリハリが大事になるのかなと。

 

最後に、物事を変えていこうと思うのであれば、覚悟がいるということですかね。

会社にしがみついている人には、本気で会社を変えることはできません。いまの職場を変えられるのは、「辞める覚悟」をもって「辞めずに取り組む」人なのです。

どうにかしてついていこう、振り落とされないようにしようと考えると、ついつい消極的な判断になり、無難な方法を選択していく。

積極的にやるということは、ハイリスクな手段をとるのもいとわないと考えるのであれば、会社を飛び出るくらいの覚悟が必要ということなんですよね。

ただ、そういう人がいないと、物事が変わっていかないのも事実。

そう思うと、他所での評価や、リスク分散可能な方法を考えてチャレンジをしていく必要があるのか。。。

 

ちょっといろいろと考えさせられるいい本であったと思います。

ただ、自分にはなかなか実践できるような気がしないのが難点ですかね。。。

 

 

「砲兵」から見た世界大戦――機動戦は戦いを変えたか/古峰文三 ~徹底的にやり抜くのか。。。なかなかできないよなぁ。~

砲兵の歴史から見ていく、世界大戦。

砲兵にまつわる戦略・戦術の変遷を見ていくとかなり面白い。

個人的に戦争という観点で見ていくよりも、むしろその国ごとの考え方の違いというのが面白いかなと。

時間に追われたドイツ軍の「無力化」戦術による性急な新劇と、時間を味方につけたソ連軍の「破壊」戦術による反撃の対比は鮮やかです。何らかの事情で急がねばならない側が「無力化」戦術を用い、時間に追われない側は「破壊」戦術を用いる、というこの原則は戦後にも通用します。

無力化と破壊の違いはこちら。

まずは無力化。

敵の神経中枢をピンポイントで破壊することで防御戦闘そのものを麻痺させる「無力化主義」

次に破壊。

敵の防衛陣すべてを破壊することを第一の目標に据える「破壊主義」

こう見ると、効率よくピンポイントでたたいていくというのはロマンを感じます。最小限の戦い方で相手を無力化させてそのまま制圧とかすごいロマン。

 

ただ、冷静に考えていくと、仕事の進め方と似ているなと。

効率よく仕事をピンポイントで肝要なところを進めていくのは非常にいいなと思うんです。ただ、それだと想定がずれたり、想定外のことが起こるとやり直しとかミスが多くなる。

ピンポイントで進めるなら、十分な知識をもとに進めていくか、想定外のことを考慮したバックアップを考えておくのが必要なのかなと。

 

それに対して、破壊主義的に徹底的に絨毯爆撃的に仕事を進めていくのは、一見効率が悪いように見えても、着実に進むことができる分だけ、後戻りがない。ただ、効率が悪いので、その点が難点ですかね。。。

ある特定の領域だけでも、徹底的にたたき続けることが大事な気がします。そうすることで、着実に少しづつ前に向かって進んでいけるというか。。。

まぁ、時間のあるとき限定ですけど。時間がなかった場合は対処療法的に「無力化」主義にならざるをえないので、それをしのぎ切った後は、「破壊」主義的にシフトし徹底的に対処していく。

そういうのが大事なんでしょうねぇ。

 

ということで、進めていく上で、現状把握して、知識をつけて理解を増やしていく。そういうのが大事なんでしょうねぇ。

うーん、なかなか難しい。。。

「砲兵」から見た世界大戦: ――機動戦は戦いを変えたか (WW2セレクト)

「砲兵」から見た世界大戦: ――機動戦は戦いを変えたか (WW2セレクト)

 

苫米地式 思考ノート術(Kindle) /苫米地英人 ~ゴールを描くってなかなか難しいですね。。。~

ノートに関する本をちょくちょく読んでますが、答えはないですね。

人や状況によって求めるものが違いますから。

ただ、本書のこの一文ではっとさせられた気がします。

いままであなたは、ノートをとる目的を考えてみたことがありますか?役に立つとはどういうことなのか、あまり深く考えずに、ノートを書き続けてきたのではありませんか?

ノートをどういう風に扱っていた方というと、メモ程度だったり、思考をまとめたりとほぼ雑記に近い状況のものが多いです。

最近なんて、ノートよりもポストイットや裏紙を利用することが多いから、どんどんノートとの距離が。。。

とはいえ、自分自身のノートの取り方はメモ的だなと思っていますが、それはその通りのようです。

相手の言葉(文字)をまとめたあなたのノートは、ノートとは言いません。単なる「メモ」です。

 

本書ではノートとは次のようなものと書かれています。

メモノートと決定的に異なるのは、自分の思考過程をビジュアル化したものがノートだということです。

 

そのためには、多くのことを認識していく必要があり、知識量を増やしていくということが必要とのこと。

 

ノートは、ゴールがあって初めて書き込むことができます。

自分の考えを具現化するのに必要なものをどうしていくのか?というのも必要なわけで。。。

 

一部自分の考えと違うところがあるので、ちょこっとそこいらは割愛です。

個人的には、具体的なゴールを描いてそれに至る細かいステップを作っていくのが徐々に進んでいく方法かなと思っているのですが、本書では到底到達できないであろう目標をたてたほうがいいとなってますから。

まぁ、そこいらは人の好みというところなんでしょうけどね。

 

目的をもって行動をする。当たり前といえば、当たり前だけれども、ついつい気づかずに流されがちなことを考えると、なかなかできそうにもないことかもしれないです。

目的の原点を作るのに、ノートにまとめておくというのは、いい方法だなと。。。

苫米地式 思考ノート術

苫米地式 思考ノート術