Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

劉邦 下巻 読了

中巻に続いて、下巻へ。

一気に読み終わるくらい面白い話でした。

 

中巻が鉅鹿の戦いの直前だったので、そこから続き。漢中制圧⇒鴻門の会⇒楚漢戦争⇒垓下の戦いへと続き、項羽が倒れたあと、少しだけエピローグ的な内容があり、おしまいという流れです。

 

楚漢戦争の始まりの契機である鴻門の会。個人的にはその前の秦都咸陽制圧時の劉邦の行動が印象的です。

劉邦は宮殿に入って好き放題しようとしたのを、周りがいさめ、秦都咸陽の離れたところに陣を引き、秦都咸陽の治安維持に努めた。ただ、函谷関を占拠しているところで項羽にボコボコにされて、命が風前の灯になってしまいますが。。。

個人的に気になるのは、この間に蕭何が、秦の法律をごっそりともっていっているところがいいですね。これが劉邦の反抗の礎となり、さらに漢の礎にもなったわけですから。やはり、知というものを引き継ぐというのは、高いレベルで存在するために重要なことなのだと思います。

 

あと、韓信や陳平のような異才が集まっていくのがいい。この2人は、もともと項羽のところにいたけど、重用されることもなく、というところで劉邦のところにきて、活気付いていく。

この2人+張良+蕭何の活躍で、盛り返していくわけです。謀略もあり、戦争でもあり。でも、劉邦vs項羽だと、いつも項羽の勝ち。なんだけど、一人ですべてを背負っている項羽は反逆するやつも自分でつぶしにいくから、その間に劉邦が復活して、取り返していく。

やはり、人材をうまく使えるかどうか?、とったところをどうするか?、権限委譲をどうするか?の違いが項羽と劉邦の差につながっていったんだと思います。

 

項羽に勝つまでの劉邦は、勉強になることが多々ありますが、漢の国を作り、皇帝になった後の劉邦は、いろいろと失政をやらかすし、匈奴に負けるわで、どうなのかな?と思わされますが。。。

まぁ、劉邦が死んだ後のほうがもっと面白いですがね。。。

 

そういや、劉邦が死ぬ間際に人材を誰にするか?を話をしていますが、それが的確すぎますね。最終的に陳平とかが国を救ってくれるわけですが。。。

ここらの話を書いてほしかったかなぁ。。。別の話でもいいですし。

 

 

そういや、楚漢戦争は多くの故事を生み出してます。

有名なところを3点ばかり紹介。

左遷:鴻門の会のあと、劉邦は漢中(今の西安あたり)にとばされたことに故事による。

四面楚歌:垓下の戦いで、周りを敵(漢軍)に囲まれた楚軍が、敵(漢軍)から聞こえてきた故郷(楚)の歌をきいた故事による。

背水の陣韓信が趙と戦う際に、川の前に陣を引き、逃げ場をなくすことで火事場のくそ力で、趙をやぶった故事による。

 

 

劉邦(下)

劉邦(下)

 

 以下、印象的な言葉

  • 「われは人の強欲とあさましさばかりをみてきたので、裏切りや背信にはおどかないが、沛公のような愚直に遭って、はじめて恐ろしいとおもった。やがて天下の人々は沛公にだまされても怒らぬようになる。そのときが、もっとも恐ろしい」
  • 地を這うような生き方をしながら、人の話に耳を澄まし、ときに批判し、ときに感心した。韓信に棄てるものと採るものとがはっきりしていたとすれば、その基準になっていたものは、”--ー自分が大軍を動かす将になったら・・・・。”という実現不可能に比い志望であったろう。人を使うことをつねに考え、人に使われることを考えなかったゆえに、韓信は吏人として無能である。が、大将としては有能である。
  • 捨てることによって、拾う。
  • 神に生かされるかぎり、生きる。
  • 大きなものをさきに与えて、さらに大きなものをあとで得るという玄妙さは、しばしば歴史でみかけるものである。
  • 「そもそも人の話を聴くことは物事のはじまりであり、計画を立てることは物事を成就させるための大切な時機です。聴くことをないがしろにし、立てるべき計画を立てないで、永く安泰であることなどありえないのです」
  • 「皇帝となる者は、賢者でなければならない、といわれている。賢者でないのに、帝と称するのは、まさに空言虚語であり、われの信念に反する。ゆえにわれは帝位にふさわしくない」
  • 劉邦には超人的な武威も徳もなかったにもかかわらず、項羽を倒して、天下を取った。このふしぎさを合理の中にすえなおせば、個の力ではなく、集団の力がそうさせたというしかない。あるいは主と従がたがいに成長する相乗効果があったかもしれない。