Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

道路の日本史 読了

日ごろ使っている道路について、歴史がどういうものか興味があったから、買ってみてみました。

こういう日ごろの疑問系は呼んでて楽しいので、またどこかのタイミングで別の本を読んでみることにしよう。

 

高速道路技術者の目線から、道路の古代(飛鳥、奈良)~中世~近世~近代(明治)~現代(昭和)へとつながる歴史を記載している。

古代の道路と現代の高速道路の道がかぶるというのが面白い。古代の道はもともとは外国に対する見栄みたいなものなので、中央の力が弱まると徐々に荒廃していく運命であったんでしょう。現代の高速道路は、生活に直結しているところもあるので、官の手を離れても、民で補修等をして大事なところは守っていくんだろうなぁと思います。

 

最後のところで、高速道路と生活道について記載がされてます。

高速道路:範囲を拡充して、より利便性をあげる

生活道:生活を支える道路だけでなく、水道・ガス・電線等を敷く大事なインフラとなっていく。特に、電線は景観を守るだけでなく、震災時の断線等のトラブルをあらかじめ防止するのも考慮。

 

こういうのを読んでみると、道路の税金、一般財源化したけど、それでよかったのか?と思えてきます。生活道をよりよくして震災等に強い街づくりをしていかないとと思いますが。。。それに、作ってから時間が経ってあるものも多いから、橋を架けなおしたり、道路を敷きなおしたりというのも多々あるでしょうし。

こんなこと書いてると、道路族と同じことな気がするなぁ。。。

 

 

各時代の特徴と流れは次のとおり(自分なりに本書を読んでまとめたので、大事なことが抜けてたり、間違えてたりするかもしれません)

古代(飛鳥、奈良):

京都や奈良を中心として、幅12mの図太い道路。目的地へ一直線に進む感じの直線性が特徴

中世:

律令制度が徐々に蝕まれていくことで、中央政権の力が弱まり、道の管理が公⇒私へと移行。徐々に古代の道路は失われていく。さらに、戦国時代になると、自分の土地を守るために、軍隊が到着しにくいように道路を壊している。また、戦略的事情より、尾根道を多く利用。

近世:

徳川家康が天下を治め、平和な時代となったことで、道路が民衆が使いやすい道路に変化。尾根道を使用していたのを、谷道を使用したりして、水を確保しやすいように変化。道の両脇には木を植えているのは、従来の通行者へ日陰や涼を提供するだけでなく、田畑からの侵食を防ぐ役目も考えてのこと。

さらに、大きな街道を整備し、日本各地をつなげていった。

近代(明治~昭和(戦中)):

鉄道に国家として注力をしていたため、道路としては、劇的な整備は進まず。徒歩用の街道は、馬車には耐えることができなかった。そういう中でも、技術革新がおき、大正時代になると、自動車の時代へ移っていく。

太平洋戦争が始まる前には、自動車専用道路の計画もでてきている。

現代(昭和(戦後)、平成):

戦争による道路の荒廃が自動車時代に耐えうることができず、さらには粉塵をまきあげるため、害をおよぼした。そのため、まずは修繕と舗装が優先的に実施。下道(生活道路)を確保した後、全国を効率的に結ぶ高速道路を建設。

 

 

道路の日本史 - 古代駅路から高速道路へ (中公新書)

道路の日本史 - 古代駅路から高速道路へ (中公新書)