Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

あの日/小保方晴子 ~真相は一体なんなんだろうなと。永遠に闇の中なのかなぁ~

STAP騒動。

詳細を知らない方は、Googleで検索をしてみてください。

3年ほど前にいろいろと大騒ぎになった案件。

 

結局、小保方さんのねつ造という形で、論文の取り下げ、博士号も撤回ということで幕引きとなりました。

 

その当事者側から見た手記。

当時を思い出すと、過度なマスコミ報道もありましたから、いかがなものか?と思ってました。

最初は、マスコミ側で「やれ!やれ!暴いたれ!」と思ってましたが、あまりにも叩き始めたのをみると、これは変な方向に進みだしたなと感じました。

時代の寵児と思われてたけど、それは作られた偶像だったのかも。

今振り返っても、何が真実かよくわからないというのもあります。

よく言われる、物事を見るときは多面的(最低でも2面から)に見ないといけないということ。それを当事者が手記をだしたということで、時期が立ちましたが読んでみました。

 

読んでの感想は、次のことです。

  • 論文のミスがある時点でダメだし、それを無責任な状態になったまま投稿するのはありえない。
  • 現物やその手法を見ずに、よく論文をだしたな。基本、再現性を問われるなら、その重要パートを任せるのなら、その部分を一度検証をしておくべき。さらには、その指摘をできていない時点で論文としての価値に疑問符がつく。
  • わかった真実までで論文を書いてあれば、よかった。それなのに、チームですることにしても、ファーストオーサーが責任を問われるのだから、その確認をしていない時点でおかしい。
  • 早稲田大学の博士号剥奪は、世間の批判を回避するためとしか見えない。日本有数の学府としてどう考えてたんだろう?
  • マスコミ報道の過激化はいかがなものか。

この5点ですかね。

 

研究者たるもの、その成果を世の中に出していくとするのであれば、それは他人の手でも再現できるような状態にしておかないといけないと思う。なかなか難しくても、しかるべき手順を踏んでいけば、それができるというふうに。

そうすると、誰でも真似をされるかもしれないとなる。それを守るために、特許という知財権がある。特許を取得しておけば、20年から25年は優遇されるわけですから、最初は高価でも特許がきれれば、いい技術は世の中に広がっていく。

 

本人は、この本の冒頭でこの言葉を書いてます。

あの日に戻れたら、と後悔は尽きません。でも、もう一度、最初から人生をやり直すことができたとしても、私はやはり研究者の道を選ぶだろうと思います。

この状況を見ると、研究者としての覚悟が足らないのかなと。新しいことを発見したり、導き出すがの研究者の仕事であるけれども、そこから先、世の中にどう貢献していくか?というののほうがもっと大事なことなのでは?と思えてなりません。

college.nikkei.co.jp

新しいことを発見するのは面白いし、やるべきだと思う。でも、論文のキーとなるところを他人任せになっていたものを、論文にするのはおかしいと思う。

恩師自身がファーストオーサーとして書くべきだったのではないかなと。そして、自分は、自分自身でやれている範囲で書くべきだったのかなと。

 

それと、マスコミの報道は一体何をしたかったのだろう。

本人を追い込んだというのもありますが、それ以上に、基本的人権すらも守れないようなことをしているのではとも。報道被害という言葉もありますからね。

報道被害 - Wikipedia

そりゃ、あのねつ造とまで言いあげた内容が正しいのかどうかは、当人だけだとは思います。だけどな。。。と。

 

仮に、STAP細胞が存在したとなると、どうなったんだろう?いや、これから存在することが証明されたらどうなるのだろう?と考えてみると、マスコミの方々はどのような言い逃れをするんだろう?と。

 

まだまだ思うところがありますが、それは別の機会に書いてみようかと思います。

あの日

あの日