Otra célula del cerebro

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応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱/呉座 勇一 ~11年も続いていたんてしらんかった。。。~

本屋で売れてますポップがあり、面白そうだったので購入。読書メーターとかでみると結構な方が読まれて登録されているので、本当に売れていたのだなと。ちょっとうがった目で見てました。。。

読んでて、ああなるほどと思わされることが多々。

 

応仁の乱。小学校の社会から学ぶくらい有名な室町時代の戦い。自分が習った時は、ここから戦国時代へと突入したと習ってきました。そして、時がとんで織田信長の登場。ある意味自分の中で応仁の乱から織田信長まで断絶されていた感があったのですが、その間をうまく埋めてくれた気がします。

 

読んでの感想は、闘いをすると決めたときは、多くの人を巻き込むのはいいけど、大義を多くするとダメだなと。シンプルにして戦う。そうでないと、一般人にとっては、ほどよいところでの収束につなげられない。一方的に叩きのめし、自分の味方の大義をすべて満たさないと終われない。そうなると、終わらせようといかにあがいても、全員が納得しての終わりはない。

そういうのを考えると、非常に難しいなぁ。。。物事を成すときは、最初が大事なんだなと。

義政の動きを見ていると、かわいそうでならなくなるし。。。

 

応仁の乱については、次のWikipediaを参照。

応仁の乱 - Wikipedia

応仁の乱の話を読んで、いろいろと思うところあり。

応仁の乱は、ぐだぐだのまま、明確な決着もつかず、終わったようなものです。ただ、東軍側が越前の朝倉を裏切らせたりして、優勢で決着。ただ、応仁の乱の結果として、応仁の乱の影響で、将軍家が2つに分裂。

こうなると、政権内部で内乱が起きやすくなり、政権自体が失ったものが多い。

さらに、いままで京にいた守護が、守護代にとってかわられたり、守護が京を離れ、地元に帰っていったりと、幕府の権威が落ちてしまった。幕府があてにならないのならば、自らの力で戦い続けるしかないわけですから。ある意味、戦国時代の幕開けといってもいいのかもしれません。

結局は、将軍の跡継ぎ問題に加えて、三管領の思惑も入り乱れてしまったように、1つの戦争に多くの想いを載せてしまうと、収集がつかなくなるのだなと。戦争を終わらせようと様々な手立てを打っていても、時期を逸していたり、なかなか決断がつかなかったりと、迷走の感が見えてなりません。

 

それにしても、興福寺の動き方が巧妙だなと。ただ、応仁の乱の影響で、その権威が失墜していっているさまは外乱があると、それまでの地位が崩れやすいことを示している気がしてなりません。

さらに、応仁の乱には、南北朝時代の擁立が絡んだりと見てて非常に面白い。応仁の乱終結後、河内の乱れを制圧という名目で畠山の一部がうろちょろしてしまったりして、河内が乱れてしまった。その要因がもしかしたら、堺という異色の土地をつくり出したのかもしれない。

もう少しきちんと読み込んでいけば、もっと室町時代から戦国時代へとつながっていくのがわかるのかもしれません。

ある意味、中央が乱れに乱れたからこそ、地方の優秀な人たちがでてくる土壌ができたのかもしれません。

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

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