ここ2年の投稿動向を見ていると、正月の最初からきちんと書籍の感想を投稿していたいので、今年も本の投稿を。
高速道路の渋滞がひどいですし、個人的にははやく新名神の開通、特に、伊勢湾岸の延線をしてほしい。今年中なので、渋滞がどう変わっていくのか?というのも気になりますが。。。
さて、そういうのをさておいて、本の感想を。
この本、以前に読んだことがあります。たぶん、2007年くらいかな?もしかしたら、少し前かも。懐かしいなと思いつつも、たまに読みたくなることもあるので、電子書籍というのは非常にありがたい。
春秋の五覇の一人といわれる晋の文公 重耳の物語。苦労人すぎる話がすごい。
晋の次男坊なのに、どうしてここまで苦労をしないといけないのか?とすら思えるくらいの話。ただ、上巻は重耳の祖父 称の物語。分家の存在が本家を倒すという執念の物語。
そう思うと、不思議だよなと思ったりします。
上巻はどちらかというと、登場人物の説明と、なぜ、重耳が苦難の道を進むのか?を示す物語。宮城谷昌光さんの作品はそういう傾向があるよなと。。。
以下、いいなと思った言葉。
大器は晩成すということだ。真の賢者は愚者にみえ、真の聖人は無能に見える。
臣下として、もっとも用心しなければならないのは、ほかでもない、主君だ
分権とは大切なものだ。真の文献とは、書物のことではありません。人のことなのです。国が滅びると、貴重な文献が消えてしまう。
人の器量というが、器量とは、しょせん器の大小にすぎぬ。申生様の人格はできあがりすぎており、器としては堅い。堅い器は、それ以上大きくならないし、こわれやすい。本当の名君とは、器の枠を感じさせず、われらごときでは器の度量ができぬはずである。
いろいろといい言葉が多いんですけどね。。。
さて、中巻からは重耳の苦難の日々が始まりますが。。。そこの感想は読み終わった後に書くこととします。