島津家、特に戦国時代の島津家は、武勇に優れているという感じがしていましたが、これを読んでその考えが吹っ飛びました。
なんというか、島津四兄弟が兄義久を中心に一丸となり、島津家を盛り上げていっていたという感じを勝手に思っていたのですが、それがうまく崩壊していきました。
理由は、義久と義弘、家久、歳久とこの4人が必ずしも一枚岩ではなかったというのと、義久が絶対的な権限をもっていたというわけではないということ。
うまく調整を繰り返していきながら、戦いを進めていき、最終的に九州統一を進めてったという。
特に、義久と義弘の対立は面白い。むしろ、義弘が少し身を引いているものの、どこか義久と戦っている感じがしていますし。
この義久と義弘の関係が、九州征伐時の対応や、豊臣政権下での動きの違いにつながっていったというかもはやその伏線があったような気がします。
この2人に対して、傍目に見てて面白いと思ったのが家久。戦ごとになると、無類の強さを誇っているのに、なぜか暴走するという。。。この家久の強さを恐れて、九州征伐時に羽柴秀長が毒殺したといううわさが当時からあったみたいですしね。。。
どうも、義弘がすごいというイメージがありますが、むしろ、この家久のほうがすごいとしかいいようがないかなと。
義弘はどちらかというと、関ケ原の戦いでの退却劇がすごかったから、戦につよいというイメージがあるのかもしれません。
それにしても、この4人がうまく調整していきながら、戦いをすすめていったのを考えると、義久の経営手腕はすごいなと。
どちらかというと、ワンマンオーナーというよりも、協議体の議長といったほうが義久にぴったりなのかも。
そういうのを思うと、うまく力を持つ人々のことを扱っていくのには、義久のような経営スタイルなのもいいのかもしれません。
なんてことをボケーと考えながら、ついつい読み進めてました。
おし、信長の野望で、島津でもやろうかな。。。