わかったつもり 読解力がつかない本当の原因/西林 克彦 ~文脈ってこわいんだなと。。。~
本を読んでいたりして、さらっと読めたなと思ってたけど、他人がたまたま一緒の本を読んでいて、もっと深く読んでいたりする人がいるのを見ると、自分はわかったつもりになっていただけなのか?それとも、読みがいい加減だったのか?など思うことがあります。
性格的なところもありますが、もうちょっとじっくり読みたいなとか思うときも。。。
特に、小説の書評をみたら、どうしてそこまで読めるんだろう?とか思ってしまうところがあります。
読み方の差なのかなぁ。
ということを思いつつ、この本を読んでましたが、なるほどと思うところがちょくちょく。
特に、わかったというのに至るプロセスがなるほどなと思いました。
- 文章や文において、その部分間に関連がつかないと、「わからない」という状態を生じます。
- 部分間に関連がつくと、「わかった」という状態を生じます。
- 部分間の関連が、以前より、より緊密なものになると、「よりわかった」「よりよく読めた」という状態になります。
結局、わからない状態のものをわかった気になっているのが原因なのかなと。
わかった気になるのは、文脈であったり、経験であったり。
実際に本書に書いてある例を読んでみると、ものの見事にわかったつもりになっていたことが多々。
うーむ、文脈を頭の中で組み立てていくというのは難しいのかもしれませんねぇ。
一度紙に書き出してみる。そして、それで因果関係を整理してみる。そういうことをすることで、深みにいけるんだろうなと。
そういや、仕事しているときに、なぜこんがらがっているのかを説明するときに、ホワイトボードを使って書いたりしてみると、意外とあれ?なんでこんがらがってたんだろう?と思ってしまっていることも多々。
また、単純でも説明資料を論理的に積み重ねていこうと考えているときに、じっくりコンセプトを紙に書いてみると、意外と漏れがあったことに気づいたりしますし。
考えてみると、わかったつもりの状態でも一度アウトプットしてみると、頭の整理につながり、理解が深まるのかもしれない。
そうすれば、より深いところにいけるのかも。
同じ本を複数回読むと理解が深まるというのは、頭の整理を繰り返しているから徐々に気づいていけるのかも。
そう思うと、なかなか奥が深い。
思い込みって怖いな。。。