Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

歴史と戦争/半藤 一利 ~いろいろと考えさせられます~

昭和史の大家である半藤さんの作品の中から、珠玉の言葉を選びぬいた本書。

 

最初何も考えずに、ただ単にhontoで安く売られていたからという理由で購入して、漫然とよんでましたが、いろいろと思わされることが多々。

 

ノモンハンの夏と山縣有朋は読んでもいいかもなと。

山縣のつくったのは永く存在し、国家を動かし猛威をふるった。民・軍にわたる官僚制度であり、統帥権の独立であり、帷幄上奏権であり、治安維持法である。

いまでもこの中で官僚制度が残っているところを見ると、山縣有朋の影響力たるやすさまじい。

 

あと、ノモンハン事件のところについて書いてあることが重たい。

「当時の陸軍のエリートたちが根拠なき自己過信をもっていた」「傲慢ある無知であった」「エリート意識と出世欲が横溢していた」「偏差値優等生の困った小さな集団が天下を取っていた」、一番最後に、「底知れず無責任であった」。これは今でも続いている。

どこか底知れず無責任という言葉が重たいかな。あと、根拠なき自己過信か。。。

出世欲もなぁ。なんか耳が痛い。

ただ、暴走しても誰の責任にもならないなら、いい加減になっていくだろうし。。。そう思うと、責任の所在を明確にすることがいかに大事かと。。。

 

最後に、なぜ終戦というのか?というところがなるほどなと。

太平洋戦争に負けたのだから、敗戦といっても問題はないはず。それを終戦記念日というように終戦というのはなぜか?

そこのは一億総兵士、一億玉砕まで戦うという総動員体制がスゥーと消え去ったという安堵感があり、この、とにかくこれ以上戦わなくていいのだ、戦争は終わったのだという安心した気持ちに「終戦」という言葉はぴったり、国民的な実感があったのである。

終戦という言葉で敗戦というのを隠している感じもするけども、戦争というものが終わり、おびえることもなく生活できるという安心感。

それがあるからこそ、受け入れられていき、今でも残っているのだろうなと。

そう思うと、言葉というものの重要性を感じてなりません。

 

本書は面白い。引用されている本を読んだことがあったり、どういう本なのか知ったうえであればもっと面白いんだろうな。。。

歴史と戦争 (幻冬舎新書)

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