Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

バール、コーヒー、イタリア人―グローバル化もなんのその/島村 菜津 ~旅行行きたいなぁ。。。~

最近、喫茶店にいくようになり、そこで本を読んだり、スマホをぼけーっといじったりしていることが増えています。

そこで頼むのが珈琲。

紅茶もあったりしますが、どちらかというと珈琲を選んでます。

どうも喫茶店というと、珈琲という印象が強いので。

 

最近読んだ「スローシティ」ででてきたイタリアだと珈琲を飲みながらというのが似合いそうだなと。ただ、イタリアにはいまだ行ったことはないですが。というより、アジア以外に行ったことがない。行ってみたいんですけどねぇ。

 

ヨーロッパの都市は小さい。

ヨーロッパの都市が、一四世紀になっても中国やイスラムの都市よりずっと小さいままだったのも、そもそも街というものが大きくなり過ぎないように見守りながら、人間サイズの街を造ってきたギリシャのポリスの伝統が根底にあるのではないか、と言われている。

小さい都市が多いと、各地域で特色がでるので、旅行というのも楽しめる。さらに、地域ごとで文化も変わっていきますし、歴史も変わっていきますから、旅行しがいがある気がします。

 

どこか画一的にな感じになりがちの日本の都市を考えると、うらやましい限りです。

まぁ、似たような都市だからこそ、旅行してもとりあえずって悩む必要が少ない気がしてそこはそこはいい気がしてますが。。。

ただ、観光を売りにしていくなら、地域の特色がでてくるわけですから、不便なほうで昔の雰囲気や文化が残っていったほうがいいんでしょうねぇ。 

世界中に似たようなモノが溢れるグローバル化の中で、ひとつの得策は、サービスも含めて、世界でそこでしかつくれない何かを生み出す努力である。

こういう努力をしていくというのが大事なのかなと。

地元で成功していても、徐々に東京進出していくものが多いのを考えると、違いというのを大切にしていくというのも逆にいいことなのかも。

 

ところで、イタリアの珈琲というとエスプレッソ。

あの濃縮された濃いというイメージしかないです。それをさくっと飲む。かっこいいなと思いつつも、自分はまったりと珈琲をちまちまと飲みながら、読書といった感じです。

その中で、本書によると、イタリアでは「バール」にてエスプレッソをさくっと飲むそうで。。。

そして、バールではメニューがいろいろとあるらしい。どこかバーという感じもしますが。いろいろと困る注文がくるからこそ、いろんな独創的なアイデアがでてきて、お店ごとの特色がでてくる。そういうものなのかもしれない。

マニュアル化していくと楽なんですけどね。それをあえてせずに楽しんでいくというのは個人経営じゃないと難しいことなのかもしれない。

 こういう遊びがあるからこそ、次のことがいえるのかなと。

本来のレクリエーションという言葉の意味は、ふたたび想像する、であって、仕事が終わって、ふと自分自身に戻った時、その時間をいかに過ごすかによって、もう一度、自らを再生できるか、といった深い意味があるんだと思う

 

レクリエーションというのは、再生か。。。

単なる遊びと考えてしまうのをやめたほうがいいのかもしれない。 

バール、コーヒー、イタリア人?グローバル化もなんのその? (光文社新書)

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