Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

八幡神と神仏習合/逵 日出典 ~面白くもあり、日本のものの考え方に驚きも。。。~

鶴岡八幡宮とか、石清水八幡宮とか、八幡宮は多く見られます。

その八幡宮に祀られているのが、八幡神

八幡神 - Wikipedia

もともとは、応神天皇をまつっているそうです。

 

個人的に、寺巡りや神社巡りを多くするのですが、その歴史をしると、結構、神社と寺院が近所にあったりすることが多々。

それが廃仏毀釈の流れでわかれたとか聞きます。日吉大社の話とか有名ですし。

日吉大社 - Wikipedia

あとは、日吉大社 廃仏毀釈で検索してもらうといろいろと出てきます。

 

もともと日吉大社は、比叡山とのつながりが強いところだったのですけどね。それが最近また交流がはじまったとのことで。。。

 

ただ、疑問なのが、なぜ神仏習合が進んだのか?ということ。

もともと聖徳太子の時代だと、守屋とか蘇我が争ったわけですし。

 

それをみると、もともとお互いに多神教であることと、日本人がいろいろと融通のきく考えをもっているのが大きかったようです。

神祇・仏教両者の内容は大きく異なるが、両者とも他を排斥する一神教ではなく、多神教であるという共通点をもっている。これは重要な要素であり、多角的に物事を摂取し、何事にも融通のきく解釈ができる日本人にとって、両者間を接近させる出発点になったと考えられよう。

 

 それを受け入れていくために、いろいろな解釈がでてくるのが面白い。

これまで通りの神では、地域社会の要望に応えきれなくなっており、どうしても仏教の呪力が必要なのだ、というところから出た考えである。

 

そして、神社と寺院が同じところにできるように。神宮寺のできた経緯というのも面白い。

神仏習合による最初の現象とは神宮寺の出現である。神宮寺とは、神威の衰えた神を救い護るために神社の傍にできる寺院をいう。

神宮寺 - Wikipedia

こう思うと、神宮寺ができた経緯も踏まえると、日本の歴史の中で徐々に海外のものを受け入れていくという素があったのだなと。

仏教が神社を守るという感じになっていたのが、徐々に変化して、一緒にまつればいいじゃんと考えてしまった。あとは、本地垂迹説とか考え付いたりしているわけですから。

本地垂迹 - Wikipedia

 

こう思うと、日本人の懐の大きさを考えさせられます。

一神教が入ってきていたら、こうはいかなかったんでしょうし。仏教が大陸からつたわったことで、今の日本があるのだなと。

 

なんか八幡宮のことよりも神仏習合の話ばかりになってしまいました。。。

八幡神と神仏習合 (講談社現代新書)

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