Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

定点観測と月替わりの御朱印 6月

定点観測の6月分。

 

とりあえず、継続してます。

 

まずは山崎川と、瑞穂スタジアム。

 

山崎川の風景。もう若葉というか葉が青々としてます。

 

瑞穂スタジアムの風景。もうスタジアムがだいぶ解体されてます。

びっくり。覆ってるものすべてなくなるのかな?

 

側面からみたもの。もうなんかどんどん変わっていきますね。

 

山崎川。桜のときから2か月でこんな感じか。

 

場所を変えて、神宮前の名鉄

なんか高さが減ってってる気がします。ということは、こちらも一度更地が見えるのかなぁ。

 

次は、富部神社の御朱印

 

 

 

特別御朱印は梅です。

 

さて、来月も続けられるかなー。

暑くなるからなーって頭によぎってます。

給食を食べたのいつ頃が最後だっけなぁ。

好きだった給食メニューってなると、やっぱりカレーと、あげパン、混ぜご飯。

この3つですかね。

 

その中でも一番なのは、カレー。メニュー表が届いたら、まずカレーがいつか一生懸命探す。そのカレーを見つけると、その日が近づくとワクワクする。そして、それが終わるとなんかモチベーションが少し下がる。

カレーって、パンでも、ごはんでもいける。そこの懐の深さってのが大きいのかもしれない。カレーより、おいしいのはあるんですよね。混ぜご飯とかおいしいのあったし。なぜカレーが一番おいしいと思ってたんだろうなぁ。正直不思議。むしろ、カレーにそこまでの価値を見いだしていたのか?すごく考えてしまいます。

大きな釜でつくってるから、家庭にはない味があって、純粋においしかったのか、それともみんなが好きだから、そこで話をしながら食べるのが楽しかったからか。みんなとの一体感で美味しいと感じていたのか?今となってはよくわからないところです。

やっぱ、食事って話をしながら食べるのって大事だと思うんです。それがあるってのが大きいような気がしてます。

 

あとは、混ぜご飯は、好きなんですけど、好き嫌いが大きかった気がします。いまでも、混ぜご飯が家で料理したりすると、モチベーションがあがるんですよね。

 

ふと思い出してみたけども、やっぱみんなでわいわい食べるってのがいいんだろうなって思います。そういや、ここ最近飲み会とかないから、そんなの思ったこと少ないなぁ。

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知多四国八十八箇所巡り その128 第84番札所 玄猷寺

知多四国八十八箇所巡りの128回目。

84番札所 玄猷寺へ。

83番札所から歩きを進めていきます。

 

東海市の市役所の近所を通過して進んでいきます。

 

市役所の前を通過。

 

そして、てくてくと歩いていきます。

 

そして交差点を越えていきます。

 

そして、目的の84番札所のものが見えてきました。

 

あと少しで到着。

 

そして、到着。

 

立派な山門。

山門を通過していきます。

 

本殿で参拝をしたのち、次へ。

 

大師堂で参拝を終えたのち、御朱印をいただきました。

 

さて、次回へ続きます。

人をつくる言葉 ~いろいろと考えさせられます~

 ノーベル賞学者の大村さんの備忘録の中から抜粋された言葉。

その備忘録ももともとこういう意味からスタートされたようです。

何事によらず単なる知識として持っているだけでは役に立たない。肚の中にしっかりと収めなければ本物にならない。言葉や知識は肚の底に収めてこそ行動の規範になると理解しました。

 理解って簡単にいうけども、腹落ちするまで考えるのってなかなか難しい。むしろ、そちらのほうが大変だと思います。

書籍を読んでるけど、そこまで腹落ちしたものってそんなにあるのかなぁと思ったりしてます。

 

読んでて、共感したのは次の言葉。 

人生は

ほんの少しの言葉で

豊かになるか 貧しくなるか

決まる

「ありがとう」「すみません」

「おめでとう」「おかげさまで」

 一緒に仕事をしている人らと、気を付けているのは御礼は必ずいうということ。あと、自分の非は素直に認める。その二つ。

あとは、自分の手柄とは思わず、誰かのおかげでと思うようにしてます。そうでないと、どこかでギスギスしていきますから。

御礼とか簡単に話せるような関係性を作り上げれれば一番いいんだろうなと思ってます。むしろ、それをしていかないと仕事がやりづらいですし。

 

今を重ねて、

生ききる

 今というところがあるから、先があるというか、今やっていることを積み重ねていくことで未来に繋がっていく。そう考えると、今この一瞬も大事な時間だなと思えてきます。

生ききるってのはなかなか難しい言葉ですよね。自分の人生でやりたいことをやりきっていくという感じも伝わってきて。そこまで自分のやりたいこと、使命のようなものが見つかればいいんですけどねぇ。それを見つけていくのも大事なことなのかもしれない。

  

年を重ねただけで

人は老いない

理想を失うとき

初めて老いる

若々しいなと思う年配の方がいるのですが、目標があるからなのかなと。やりきれない状況に置かれて、そこに諦めを感じるようになると、老いが一気に来るんだろうなと思うと、やりたい環境に移動することも視野にいれてもいいのかもしれない。

そんなことを思わされます。

 

書籍自体はあっという間に読めるのですが、そのあと、うーんと考えたり、たまに読み返したりって感じでした。

また期間をあけて読み直していいのかもしれないと思ってます。

知多四国八十八箇所巡り その127 第83番札所  弥勒寺

知多四国八十八箇所巡りの127回目。

83番札所 弥勒寺へ。

まずは道なりにてくてくと進みます。

 

そして、大田川の橋を渡ります。

 

川はこんな感じ。

 

そして、てくてく歩いていきます。

 

弥勒寺の案内を見て安心します。

 

ここを登っていきます。

 

弥勒寺に到着。手水場。

 

弥勒寺の由来。

 

本堂にて参拝。このあと御朱印をいただきました。

 

そして、山門のほうへ。山門を見ると、こちらからいったほうがよかったのかな?と思ったり。


さて、次回に続きます。

南北朝時代 ー五胡十六国から隋の統一までー ~結構面白い時代な感じがします~

三国志の時代は好きでよく読みますが、その後の時代ってどうなってるんだろう?って気になったので読んでみました。

なんつうか、いろんなところで紛争を繰り返しているというか、春秋戦国時代が再びという印象を受けます。最終的に隋に統一されて、隋が短命で、そのあと唐で安定的になる。春秋戦国時代も秦に統一されて、秦が短命で、そのあと漢で安定的な時代へと。

隋は運河をつくるような大きな国家事業をしたり、秦は厳しい法律を実行したりと考えると、なかなか民衆に負担をかけているところも。。。

なんか似ているなって思いますし、歴史って繰り返すなーって思います。

 

て、いう目線でみると、五胡十六国の時代って面白いと思うんですよね。いろいろと権謀が渦巻いてただろうし、多くの思いが錯綜するのをみると、きっと注目されてもおかしくないところだと思う。

 

南北朝時代のダイナミズムは、ユーラシア規模の連動性や制度・文化の融合・伝播だけではない。北朝南朝ともに社会内の下から湧き上がるエネルギーが時代を動かしてたこともあげられよう。

こう思うと、変化が激しい時代であったのだなと思います。

 

最後に興味深かったのがこちら。三国志で最後に統一した晋ががたがたと崩壊していく様とかね。なんつうかひどい。統一を終えたあと、司馬炎が一気にやる気をなくしてしまったり、そのあとの皇位継承でもめにもめて、八王の乱で国力が削られるわ、その中で匈奴が入ってくる余地をたぶんに作り、そしてそこから王がでてきて、複数に中国が割れるとか。

やっぱトップがしっかりと跡継ぎを決めて、跡継ぎにうまく権力を移譲していかないとですね。

 

五胡十六国の時代のことは面白そうなので、調べてみてもいいのかもしれない。ただ、この時代の本って、人気が少ないのか?書籍が少ないんですよね。ググってみて調べてみてもいいのかもしれない。

春秋戦国時代三国志の時代と比較しながら見ていくと面白そうな気がしてね。

知多四国八十八箇所巡り その126 第82番札所  観福寺

知多四国八十八箇所巡りの126回目。

今回で9日目。

9日目って結構なボリュームな感じです。

 

さて、神宮前の駅からスタート。

 

名鉄にのって、太田川の駅へ。

 

太田川駅の写真を撮り忘れたので、自転車駐車場の写真。太田川駅の名前がありますから。

 

さて、GoogleMapを見ながらてくてくと歩いていきます。

 

ところどころにこういう高台があるんですよね。。。

 

そして、無事に山門に到着。

 

山門からみた風景。

 

観福寺の由緒。

 

本堂で参拝。そのあと御朱印をいただきました。

 

別のところからでてきました。82番札所の文字。

 

次回に続きます。