Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

教養としてのプログラミング講座 読了

プログラミングを教養というのを見て、少し面白いなと思って読んでみました。

内容としては、多少プログラミングに携わったことのある人なら、ふーん、でおわる内容となります。

 

ただ、プログラムを通して、世間の仕組みについて説明しているのがいいかなぁと。それで、だいぶハードルを下げてて、ここだけでも一読の価値はあるのでは?と思ってます。

PCの歴史のことも書いてあり、そこで個人的にいいなぁと思ったのがアラン・ケイの次の内容です。

  • 未来を予測する最善の方法は、それを発明することである
  • ソフトウェアについて真剣に考える者は、ハードウェアと作るべきだ

特に後者は、今のハードウェアの限界を言い訳とせず、やりたい機能をもつソフトウェアが100%の能力を引き出せるようにしろっと言うことなんですよね。他人任せではなく、自分が一番ほしいものを作り出せばいい。

ここは深くそうだなぁと。誰かを待つのではなく、自ら動くというのが肝なのかもしれません。それは、どういう場合でも共通していえることと思います。

 

さらに、自分のしている作業をアルゴリズムのようにチャート化等できれば、自分がしている仕事を他人に任せることができます。その空いた時間で、自分はさらに新しいことにチャレンジできる。そうすることで、技術者としての進歩があるのでは?と思います。

 

仕事をしているときや、普段の生活の中で、「こうしたらいい」とか「こうしたほうがいい」というアイデアがでてきたときに、一つの分岐に経つと思います。

  • 自分でそのアイデアを実現するか?
  • 他人がそのアイデアを作ってもらうのを待つか?

その能力がなかったなら、それを身に着けてでもという条件はつきます。

 

前者の場合は、日ごろのちょっとした仕事で不便なところがあれば、徐々に改善していくというのがいいのかと思います。仕事ですることを考えていくと、細かい改善くらいなら自分でやってしまえ!を実現できるのかなぁと。

後者の場合は、できないからと思ってアイデアレベルにしておいて、それで終わり、誰かが成し遂げたときに、「あー、自分も考えてたんだよね。ようやくできるのかぁ」という言葉を出してしまうのがあります。

 

とめどなく書き連ねましたが、プログラミングしようかなぁ。その前に、ああしたい、こうしたいというのを探さないとなぁ。

教養としてのプログラミング講座 (中公新書ラクレ)