Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

京都ぎらい 読了

新聞の新刊紹介ででてたので、興味をもって購入。

京都にはちょくちょく行くので、タイトルを見て面白そうって思ったのもあります。

 

読んでて衝撃でした。

京都から来たというのは、自分の感覚では京都府から来たものと思ってました。それが、京都市とくに洛中から来た人からすると、洛中の人のみ京都からきたといっていいというのが。

ここらは、室町時代南北朝の流れが原因ではと書いてます。北朝中心で室町を中心となったことで、他のところを低くみるようになったと。。。自分たちは権力の近くにいて、特権階級なんだと思う。そのことが、京都というのは、洛中をさすもので、伏見の洛南や嵯峨、宇治とかは、京都ではないという感覚をうみだしたのではないでしょうか。

自分もたまに車のナンバーで、酒の席とかで、冗談半分で”なんちゃって”とかいうことがありますので、それを思えば同類なのかもしれません。

 

それと、1985年~1988年につづく、京都市と寺院との闘争はよくやるなと思えてきます。京都市が寺院に税金をかけようとしたら、寺院は拝観中止にして、観光客がきてもうれしさを一切なくして、抵抗。まさしく、ストライキと同じですよね。そのおかげで、観光客減⇒周辺のお店売上減となり、税収減にもなり、困り果てた京都市が折れるという形で終結してます。

寺院が強すぎると思いますが、ただ、寺院に資金があるからこそ、あの景観を守ってもらっているという側面を考えてもいいのかなぁと。あれだけの庭や建物を維持するだけでもとんでもないお金がかかりますし。資金がないと、檀家さんにお金をだしていただいて修理ですからね。基本荒れていく方向になりかねません。明治維新後は、寺院の地位が下げられて、土地を接収されたりしたので、一気に廃れたらしいですし。

いまや、京都は一大観光地だから、そこの価値を高めていくという点でもいいのかもしれないと思ってます。

 

まぁ、ここいらはマイナンバーで銀行口座と紐付けされたら、いろいろとあの手この手で税務署が税金かけてきそうですが。。。また、もめそうですけどね。。。

 

最期に、京都の景観は、ほとんど徳川三代(家康、秀忠、家光)の見栄で作られたものが多いらしいです。

それを知ると、京都の歴史は1200年というのも、あの景観が1200年続いたわけではないということです。少しずつ気付かれないレベルで変化が進んでいるということなんでしょう。

 

なんつうか、京都ぎらいというタイトルではあるけど、実は京都というところが好きなのでは?と思える内容でした。

 

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)