Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

談志が死んだ 読了

「談志が死んだ」というタイトルを見て、「ああ、そうかぁ」という思い購入。

最後の解説に書いてますが、このタイトル回文になってます。ダンシガシンダ。前からよんでも後ろからよんでも同じ意味。シンブンシやマサコサマ、タケヤブヤケタと同じです。

うまいタイトルだなぁと思います。

 

昔、風とマンダラという立川志加吾さん(現 雷門獅篭さん)がモーニングで連載していた4コマ漫画で描かれていたときに、なんという理不尽な世界があるんだと思って読んでたのを思い出しつつ、読んでました。噺家というのは、とてつもなく大変な職業だなと思いながら。

 

内容としては、談志師匠がなくなった直後⇒過去の話(生前元気な談志の話)⇒壊れていく談志師匠との話⇒なくなったあとの立川一門の行方についてと話が進んでいきます。

とくに、”壊れていく談志との話”というのは、”帯に記載している”大変な事態だ。壊れているんだ、師匠はーー”というのを見て、事実だなぁと。

 

特に、談志師匠が壊れていく姿を見ていると、その場その場の気分で判断していて、ちょっと頭をつかったり気遣いができなくなっているのが見えてきて、それでもその師匠を支えようとしている方々の姿が見えてくるので、なんかいたたまれなくなります。

最初の話なんざ、気分屋で怒っているようなもんだもんなぁ。作者はただただ後輩のだした小説「赤めだか」(年末のTVドラマでやっていました)の書評をかき、ほめてるだけなのに。それなのに、談志師匠は、そんなケチなことは言った記憶がないとかそういうことで激怒。

以前の談志師匠ならわらって許しているような気がします。むしろ、おれをネタに小説にしたんだから、売り上げを一部まわせとかいいそうで。。。

 

尊敬する人が壊れていくところを見ると、どうしたらいいんだろう。尊敬する人がものすごい時期を知っているからこそ、今を見るとつらい。談志師匠の場合、一種のボケとか、老人性うつとか入っていたのかもしれません。

暴走した後に、一言忘れろとか水に流せとかで終わりにする。理不尽だなと思うけど、談志師匠本人もそれを自覚して、ただ自分の立場や性格から謝罪するというのはなかったのかなと。

そんなひどい状況の中でも、談志師匠がすごいと思うのは、こわれていく中でも、高座にいけば、しっかりと噺家をやりとげる。こわれている状況を客には見せないようにし続けたというところ。高座に立てば、客をがっかりさせてはいけないという意地というのを感じます。

 

巻末に談志師匠がらみのことをお弟子の方々が書籍にしているので、ちょくちょく読んでってもいいのかな?何はともあれ、弟子の方々に談志師匠がすごく愛されていると感じます。

最期に、石川慎太郎は粋な人ですね。弔辞を読んだところのシーンを読んだとき、ちょっとかっこいいって思いました。

 

談志が死んだ (新潮文庫)

談志が死んだ (新潮文庫)