Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

ひらめきの導火線/茂木健一郎 ~ひらめきというのは誰にでもあること。ただ、取るに足らないものでも吐き出してから試してみることが大切~

テレビのクイズ番組でよく見る茂木さん。

2006年くらいからちょくちょくテレビにでてるんですね。Wikipediaで調べてみてはじめてしりました。

参考:茂木健一郎 - Wikipedia

 

ひらめきというと、ピキーンというふうに、いきなり湧き出るという感を漫画とかで見ます。そのひらめきで、難敵を倒したり、新しい技を編み出したりすることが多いです。

主人公とかの特別な人しか、ひらめきによって劇的な成果を出さない。一般人や凡人はひらめくことがあってもあまり意味がない。そういう風に思ってしまうことが多々。

 

ただ、主人公がひらめくときって、大概強い相手と戦ってたり、自分に限界を感じてあがいていたりしている場合が多いです。つまり、目の前の難関を乗り越えるために、本人がいろいろと考えてきて、試してきて、あがきにあがいたからこそ、ひらめきがでてくるものと思います。

 

本書を読んでると、ひらめきというのは誰にでももつものであって、ただ、それを気付いていない、ないしは、たいしたものではないと思って、ほったらかしてしまうことから、大きなひらめきにつながっていないとおもいます。

小さなひらめきを試してみて、その結果を振り替えし、改良して、行き詰まり、またひらめいてというのを繰り返していくことで、徐々にステップアップしていき、大きなひらめきになるのかもしれません。

いや、徐々に大きくなっていくことができたら、最初のひらめきが大きなひらめきといわれるのかもしれません。

DNAの螺旋構造を発見した論文は、2ページ程度、さらに、島津製作所の田中さんも4ページ程度の論文と、ノーベル賞を受賞した研究の肝となる論文は、そのひらめきを端的に短く書いたものもあります。長々と書く必要すらなく、ひらめきを端的に書く。それも大事な技術。

自分のひらめきを端的に書き、次のステップへ進む。そのことこそが大事なものなのではないでしょうか?

 創造性は本来だれにでも備わっているが、引き出し方のうまい、へたはある。創造に意欲的な人とそうでない人でも差がある。だが、だんな人でも、「小さなひらめきを書き続けること」で、大きなひらめきにいたることができるのだ。

 小さなひらめきを捨てず、ひらめきの裾野を広げていくには、億劫がらずに手を動かして「書く」ことが大切だ。ただ頭の中にある状態よりも書いたほうがアイデアが明確になるし、客観的に眺めることもできる。書く自分と、それを読む自分は違うのだ。

 

自分を振り返ってみると、仕事であまりメモを取らずに、記憶力だけである程度仕事を回していた時期がありました。たいていはメールでくるし、記憶力はそこそこ自信があったので、なんとかなってました。

要は、頭でっかち状態になってました。この状態は、仕事量増大によって、仕事に追われるようになってしまった時点で崩壊しました。結局、覚えきれてなかったんです。そして、仕事に追われることで、心の余裕がなくなり、ひらめきやアイデアを出す余裕すらなくなった。

そう考えると、記憶力に頼ることである程度の脳の能力が奪われていたのだといまだと理解してます。

もやもや考えていることを一度紙に書き出してみる。そうすることで、頭が整理され、次のステップに進めるし、やるべきことが見えてくる。また、根拠の弱いところも見えてくる。

考えていることを一度吐き出してみるというのも、ひらめきを生み出すには大切なことだと思います。

 

ひらめきの導火線 (PHP新書)

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