Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

バカの壁/養老孟司 ~高い壁は乗り越えるのではなく、低くして容易に乗り越えれるようにならんとなぁ~

バカの壁とは何か?一時期非常に話題になった記憶があります。新書でベストセラーとかすごいというので、ニュースとかメディアに取り上げられてましたし。

当時は、そんなに興味がなかったので、スルーしてましたが、今読むとほうほう、ふむふむと思うことが多々。この本はいつ読んでもいい本だなぁと思います。

 

バカの壁とは本書の中にこういう記述がある。

 バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。

 本書で度々、「人は変わる」ということを強調してきたのも、一元論を否定したいという意図からでした。今の一元論の根本には、「自分は変わらない」という根拠のない思い込みがある。その前提に立たないと一元論には立てない。なぜなら、自分自身が違う人になっちゃうかもしれないと思ったら、絶対的な原理主義は主張できるはずがない。「君子は豹変す:といことは、一元論的宗教ではありえないことです。ころころ変わる教祖は信頼されない。

 だから、都市化して情報化する。そういう世界では、ご存知のように、中近東が都市化していって、そこから一神教が出てきた。ことの流れからすれば必然なのです。

 つまり、バカの壁と言うのは、個人々々がもっている偏見や思い込み、それを言い表しているのではないか?と思います。

そして、自分の意識の範囲内に入ってくる情報を置いていないと意味がない。「知っている」という思い込み、これが自分自身が情報を取捨選択してしまい、本来見るべき情報を見逃してしまう。ということをいってるのでは。

 

このバカの壁というのが、面白い発見や気づくべきことを見逃させてしまっている。そういうことに気づかされても、なかなかバカの壁の中からは出てこれないだろうと思いますね。ただ、この壁を高くしてしまうのではなく、低くすることができれば、容易に周囲を見渡せるし、新しい気づきに目がつくのかもしれない。

 

自分のことを振り返ると、自分でどこか限界を設けていて、それを言い訳にしているところがありますね。

仕事面でも自分の役割はここまでだとか、その情報はうちらではいらない。とか。。。そういうのが、自分の可能性を狭めているんでしょう。

たまに、うまくいかなくなったときに、他人(他部署)の領域まで踏み込んで、他人と腹を括ってがっちり仕事をすると、自分の知らない知識がたくさんころがっていて、面白いし、さらに自分のよさを引き出すこともできるようになりますし、新しい世界が見えてくるんですよねぇ。

ただ、それをやると、他の仕事ができなくなる上に、いろいろと頼られるようになるので、緩急をつけて、やるときはやる、手をだす時期を決めないといけないんでしょう。

でも、このやり方って、壁をうがーって登っていってるんだよなぁ。やはり、壁を低くするというのが一番いいんでしょうねぇ。

 

新しいことに常に興味をもって、思い込みをなくし、そして、「人は変わる」というのを前提に偏見をなくしていけば、バカの壁を低くして、自分もいまからでも変化できるのかもしれません。

 

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)