Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

家族という病/下重暁子 ~一気に文章を起こしたのでかなりグダグダだなぁ。。~

昨年の今頃、非常に話題になり、ベストセラーで、書店で多くつまれていた記憶があります。

そのとき買おうかなと思ってたんですが、他の本がたまってたのでスルーしてました。最近、Bookoffにいったら100円コーナーに売っていたので、はずれでもいいかなと思って購入。見た目的にも普通の本なので、大量に売られているのかな?と思ったり。。。

 

内容としては、読んでて、うーんと悩まされる内容。

親と本当に理解しあえているのか?を何度も問いかけてくる感じがして、非常にうっとおしく感じ、ほっといてくれといいたくなる。なので、一気に読み終えて、さっさと感想を書いている次第です。

家族はもっとも近くて遠い存在なのかもしれない。

こう書いてありますしね。それをいうために、まわりくどく書かれている感じです。ただ、文章が読みやすいので、苦労せずに読めます。

 

個人的なことを書くと、両親を理解しているか?と聞かれたら、「理解していないですし、理解することもできないし、すべてを知ろうとも思わない。」と答えるでしょうね。

 

親と一緒に住んでいるならまだしも、親元を離れて働いていたり、遠くの地で生活してれば、いろいろなことを吸収して考え方も変わっていくだろうし。その間、家族も同じように少しずつ変わっていく。

一緒に住んでいても、働いていたり、学校に行ってれば、その間にいろいろと新しいこを吸収したり、考えたりしてる。その中で変わっていく。仮に同じときを延々とすごしても、物事の感じ方が違えばどんどん変わっていく。その変化はなかなか気づきづらい。

だから、どんなにがんばっても、理解してるつもりにしかなれないと思う。

 

親の心、子知らずということわざもありますから。

 

そう気づいたときに、結局は家族は近しい他人なんだと。他人の心のうちなんて、理解もできません。理解しようとすれば、ある程度は予測したりすることができるんです。ただ、外れたときのショックとかが大きいと、もうそういう気遣いの苦労が非常にイヤだってな感じの考え方になる。

 

そういうのを踏まえていくと、親・家族のことを理解できているというのは、少し傲慢かなと。人間知らないことがあり、それを秘密としておいたほうがいろいろと都合のいいこともありますから。

ただ、一緒にいると思えるよう心がけるだけでいいのではないかなぁと。

 

自分は、自分の人生は自分の判断で決めていこうとしてます。今の人生は、自分にとって、おまけの人生と考えてるところもありますが、周囲の人(家族や仲間)の意見をきいても、参考にしかならない。結局決めるのは自分ですから。他人が喜ぶからといって、物事を決めてたら、その人がいなくなったらどうするんだろ?それに、いやいや決めたら、どこか逃げ道になってしまいますから。

 

てなことを読んだ後の感想として思いました。

一気に文章を起こしたのでかなりグダグダだなぁ。。。

 

家族という病 (幻冬舎新書)

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