赤めだか/立川談春 ~破天荒なイメージがありますが、談志師匠は温かい人なんだと思う。~
赤めだか。なぜこのようなタイトルになったんだろう?
最初のほうででてくるんですが、師匠である立川談志師匠の庭の水がめで飼っていた金魚のこと。
庭の水がめに飼っている金魚は、金魚とは名ばかりで、いくらエサをやっても育たなかった。僕たちは、あれは金魚じゃない、赤めだかだ、と云って馬鹿にしていたが、大きくならないところも談志好みらしく可愛がっていた。
談志師匠に愛していた金魚に自分たち弟子を重ね合わせて、師匠との関係性は変わらないという風に書いてあるのかもしれません。
ふと、自分のことを振り返ると、そういう関係性もあるんですよね。
自分は大学の恩師との関係性ですね。もう卒業して、大学に残らず、外にでていってますが、それでもちょくちょく会いにいったりしてます。会えば、教授と生徒、もっといえば、師匠と弟子の関係に後戻りです。
その教授のおかげで、悩みを吹っ切れたこともありますし。
もう教授も退官しましたが、まだ研究を続けているので、ちょくちょく会いにいかないとなぁと。。。
まぁ、褒められた優秀な生徒、弟子ではないですが。。。
自分も仕事上で一緒にやる後輩がでてくると、立場上どう立ち居ふるまえばいいのか、ちょくちょく混乱してしまいます。
その中で、本書にでてきた談志師匠の言葉が温かい。
後年、酔った談志は云った。
「あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」
この言葉にどれほど深い意味があるのか今の僕にはわからないのだが、そうかもしれないと思い当たる節はある。
談春師匠の振り返りを見ると、こころあたりが多々。
今までに僕の弟子にしてくれと4人の若者が来た。みんな必死で、それこそ眦を決して、涙くんで飛び込んできた。こちらもそれにこたえようと教えた。誉めることは、ほとんどしなかった。ひとつの課題をクリアすれば、すぎに次の課題を与え、それをクリアできなければ、頑張れと励ましているつもりだったが、第三者にはそう見えなかったらしい。厳しすぎるとか、無理だとか仲間に云われた。
そうか、職場で後輩にいろいろとアドバイスをしてしまいますが、誉めることもなく、どんどん要求レベルを上げ続けているのを見ると、厳しすぎるなとしかいいようがないのかもしれないなと。。。
深いなぁと。。。
本作は、年末にドラマ化されてますので、タイトルについて知っている方も多いのでは。非常に読みやすいし、読んでみても笑わせてくれますし、考えもさせてくれるいい本だなと思います。
そういえば、年始に立川談四楼師匠の本の感想も投稿してました。ふと思い出せば、この赤めだかが原因で、ひと悶着あったみたいで。。。
著者の写真をネットで見たときに、どこかで見たことがあると思っていたら、下町ロケットの殿村さん役ででていたんですね。やっぱり落語家の方は俳優もできるし、文章も書ける方も多いしで、幅が広く多才な方が多いなぁ。。。
以下、いいなと思った言葉
教え方。基本をしっかり。
よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗むほうにもキャリアが必要なんだ。最初は俺が教えた通り覚えればいい。盗めるようになりゃ一人前だ。時間がかかるんだ。教えるほうに論理がないからそういういいかげんなことを云うんだ。
高座にあがったときの所作。
お辞儀がおわったら、しっかり正面を見据えろ。焦っていきなり話しだすことはない。それができない奴を正面が切れないと云うんだ。正面が切れない芸人にはなるな。客席の最後列の真ん中の上、天井の辺りに目線を置け。きょろきょろする必要はない。マクラの間に左、右と見てゆくにはキャリアが必要なんだ、お前はまだその必要なない。
型をやぶるには型を一度作らないとダメなんですね。。。
そして、進歩しているからこそ、言われることが増える。これも伝えていかないと厳しいということになるんでしょう。
型ができていないものが芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。
~中略〰
いいか、俺はお前を否定しているわけではない。進歩は認めてやる。進歩しているからこそ、チェックするポイントが増えるんだ。