Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

晏子(一)/宮城谷昌光 ~久々に読んでみたけど、非常に面白い。~

自分がはるか昔に読んだ本を久々にBookoffで見つけたので、購入してみました。

久しぶりに読んでも、ついつい引き込まれます。

昔読んだ本をもう一度読むというのもいいです。ちょくちょく読み直しの本も書いていこうかなぁと考え中です。

 

時代は春秋時代。場所は、斉の話。

晏子といっても、晏弱と晏嬰の親子。

親父よりも息子の晏嬰のほうが有名です。史記を書いた司馬遷をして、その御者になりたいと言わしめた人物ですから。

 

宮城谷昌光さんは、書きたい人物がいると、その生きた時代を描くために、その前の時代から書くことが多い気がします。どういう環境におかれていたのか、そしてその流れはどこから来たのか?を明らかにするために。

三国志のときも、曹操の祖父の代から描いていますし、新三河物語のときも家康の代ではなく、清康(家康の祖父)の代から描いている。

晏子は初期の作品ですが、その傾向の出始めのような気がします。

 

宮城谷昌光さんの本を読んでると、歴史というのは一時的なものではなく、一連の流れを見ておく必要があるというのを思わされます。背景を知ることで、より深く起こっていることを理解できる気がします。

 

第1巻は、初めから激動の話で始まります。

晋という大国の大臣を怒らせてしまったせいで、晋が開く会合にでかけたら、上役は逃げ帰り、晏弱が代理にいって捕まるという話からスタートです(断道の会同)。

晋の配慮と遠謀から逃がされることになるのですが、その意味を理解した斉の君主は、晋に非を詫びにいく。一時的に晋と斉は仲直りというか和平状態に。

そのあと、また晋と斉は戦うことになるのですが。。。

一連の戦いの中で、斉に戻ってきた崔杼(崔杼 - Wikipedia)の暗躍が始まり、大臣の失墜というところで1巻は終わり。

 

この激動の中で生き残っていくというのは、非常に難しいなぁというのが印象です。

このあとの話はしっていても、忘れているところも多いので、次期を見て読んでいこうと思います。

晏子〈第1巻〉 (新潮文庫)

晏子〈第1巻〉 (新潮文庫)

 

 以下、印象的な言葉

  • ものごとは、他人をあてにして成功したためしがない。
  • 殞名・・・・,なるほどな。わしは命を殞としたも同然であり、国も敗れたと変わりはない。
  • 崔杼のような胸腹にふくみの多い男からの借り物は高くつく。早く返しておくにこしたことはない。
  • 権力のある者は悲しいな。無実でも、その者の存在が、すでに罪であるということはあるものよ
  • 晏弱がなみの知力の持ち主でないことくらいわかている。が、知力にすぐれた者はほかにもたくさんいる。しかしながら南郭偃がそれらの知者を心から敬仰せず、晏弱ひとりに真の知を認めているということは、事にあたって、知力というものが勇気をともない、さらに人がなるほどと感ずる情義にそって発揮されなければならないという点で、晏弱にまさる人をみたことがないということである。
  • 国佐は、人のなかに人しかみない人です。人のなかには天も地もあるのですよ。人のなかの天地は、人ではいかんともしがたいときがあります。郤克ごとき私曲の者では、晏弱のなかにある人為では害せないものに、勝てるはずがない。
  • 周公は、人間は生まれながら天から運命をさずがっているが、徳行をつまないと、せっかくの運命を全くすることができない。人間の運命は神意によってきめられた一定不変のものではなく、人間の後天的な行動、修養をつみ、道徳をはげますことによって、ある程度かえることができると考えた。