村上海賊の娘(二)/和田竜 ~いきおいが非常にすごい。雑賀党の凄みが伝わる第二巻~
前回に投稿してから1ヶ月経ちましたが、すでに読み終わってたのに感想を放置してました。
なので、ちまちまと読み直しながら、感想を書いてます。
大坂についた景がもてる。もてる。もてる。
その言葉につきますかね。ようやく求めるべき土地についたというべきか。
泉州の侍どもが姉をこうまで褒めそやすのは、顔の造作ばかりが理由ではない。姉の性格までもが、その好みと合致しているのだ。この荒武者どもは、女にも激しさを求めている。
ただ、そこは戦場。織田軍と本願寺の戦闘の最前線の木津砦と天王寺砦。そこで始まる戦闘が衝撃的。
雑賀党の鉄砲部隊の威力というのをまじまじと見せつけられます。伝家の宝刀を抜いたとも思われるような鉄砲射撃。一斉射撃ともいわんばかりの攻撃。
これは当時から考えると、すごい衝撃だったのではないかと。さらに、釣瓶うちの3段射撃も。
「三段撃ち」などと大仰に構えずとも、日本の野戦にはこの以前から「釣瓶放し」という集団射撃法がある。「釣瓶」は、本来「連るべ」と書き、兵が並んで連続して弓矢を射るという言葉だが、これに「釣瓶」という漢字を当てたのには意味がありそうだ。
「釣瓶放し」は読んでの字のごとく、水をくむ際、滑車を使って二つの桶を上げ下げする釣瓶井戸になぞらえたものであろう。矢を放た一方が下がれば、控えていた他方が上がる。この伝統的な射撃法を、いち早く鉄砲を導入した雑賀党が応用せぬはずがない。
信長の三段射撃というのが有名です。ただ、本書のそれに近いものがすでにあったというのも想像の域かもしれませんが、ありえる話しかなと。
鉄砲の三段射撃よりも、怖いと思うのは、宗教が戦争に絡むというのを意味していることかなと。
進まば往生極楽、退かば無間地獄と書かれておる。これ阿弥陀仏の本願なり」
この旗があげられてから、本願寺の門徒宗は死にもの狂いで、織田軍に殴りかかってます。いままで南無阿弥陀仏というだけで極楽に行けるといわれていたのに、それがいきなり。。。
この意味はどこか、ISISとかの原理主義のテロに似ているのかもしれないかなとすら思えてきます。自分自身の信心のために、戦って死ぬことで天国にいけるという想いで、死にに行くというのも。
宗教との戦いというのが裏テーマじゃないかな?とも思いつつ、一気に読み終わりました。
ここから気になるのは、村上水軍がどうからんでくるのか?そして、景はどちらの陣営について戦うのか?この物語の結末はどこにもってくるのか?というところですかね。。。
荒木村重の謀反まで描くのか?それとも。。。。
とりあえず、3巻、4巻はすでに購入済みですから、続きをゆっくりとでもいいから読んでいこうかと思います。