怖い話として多いイメージがある都市伝説。
定義としては、次のようなもの。
都市伝説(としでんせつ、英: urban legend)とは、近代あるいは現代に広がったとみられる口承の一種である。大辞林 第二版には「口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの」と解説されている。(wikipediaより)
この本では、戦場である都市伝説について書かれています。
書かれているのは主に第二次世界大戦以降のもの。
読んでて、ちょっとむごたらしいものが多いのですが、気が付いたらあっという間に読み終わってました。
どうも怖いものみたさというのもあるということでしょう。
読んでいて面白いと思ったのは、都市伝説の内容として似たようなものがあるということでしょうか。
たとえば、次の3つの話。
この3つはかなり似ている。
ビクトリア湖の巨大魚は、ウガンダでアミン大統領時代に虐殺が発生しており、その犠牲者がビクトリア湖に放棄されていた。それをビクトリア湖の魚が食べることで巨大化していった。実際は、外来種のナイルパーチが異常繁殖したことが一因。
それがいつの間にか、次のような論理で尾ひれがついていった。
アミンが大虐殺を行っている→兵士が犠牲者をビクトリア湖に捨てている→魚がそれを食べている→魚が巨大化した→魚が人間の味を覚えて襲うようになった
これに似た例が、カンボジアにもある。
カンボジアの赤いバナナも虐殺された人々が放棄されたところにあるバナナが赤く育ったとかという類の話です。メコン川の魚は、ビクトリア湖と同じ経緯でしょう。
戦後の東京湾では、東京空襲で投下された焼夷弾を逃げて川へ逃げ込んだ人々が、あまりの人の多さに溺死したりしたというのもあり、それを食べた魚が大量に育ったというのが噂のもと。実際は戦時中にあまり魚をとれなかったので、魚の数が増えていたというのも一因。
こういう風に見ると、この件以外にも似たような事例が多々紹介されています。それを踏まえると、次のことがいえます。
国や文化が違えども、戦争における人間の思考には一定の法則みたいなものがあるのかもしれない。
あとは、独裁者を公開処刑とかするのは、実は生きているというのを防ぐためのようです。
日本でも織田信長や源義経など実は死んでないという説がよく出てきますし。似たようなものなのかもしれませんねぇ。
人間の想像力って恐ろしいなと思わされた本です。
都市伝説というのは戦争というものをしてしまう人間が知らず知らずに自らの心を守る自己防衛として生み出したものではないか?ということ。 戦争や虐殺という悲劇を繰り返さないよう、そして暗にそれを行う側に思いとどまらせようという意思が込められているようなきがしてなりませんでした。