Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか/鴻上 尚史 ~こういう人がいたのか。という驚き~

特攻隊として9回出撃して、9回帰還した人がいた。

その人に鴻上 尚史さんが興味をもち、話しを聴きに行ったというもの。

 

読んでの感想は、日本は負けるべくして負けたのだなということ。

人というのは変えの聞かない重要な要因であると思うのに、その人たちに軍部は死ねという通達を出す。それがあまりにも非常すぎる。

どこか人を駒と考えている感がしてなりません。

 

将棋では、歩兵は、苦難を経て初めてと金となる。今まで手塩をかけて育ててきた人材をむやみに減らしていくのはなりたたないかなと。

企業のように、ヘッドハンティングで同レベルの人をすぐ雇えるなら話が変わりますが、普通なかなかそういうことができるわけではない。

 

この何度も戻ってきた方の主張というのは、冷静に聞けば納得ができる。何度も爆弾を落としに行ったほうがいい、そうすれば、何回も相手の船を撃沈できるというのが妙に納得というか当然かなと。熟練していくことで、より精度があがっていくことですし。

そういう人が生きて帰ってくるから、数回目からは護衛をつけないようにしたりして、あきらかに死ぬようにしむけたりとかね。

 

当時の軍部は特攻隊の成果を最初は大々的に報じるために、熟練パイロットを投入していく。そして、徐々に人が減っていき、新人が飛ぶようになっていく。

一般的に飛行機のパイロットは、一人前になるのに膨大な時間がかかる。そして、飛行機を変えれば、その熟練度をあげるために、ある程度のフライトが必要になる。急激な動きを繰り返す戦闘機であればなおさらでしょう。

しかも、相手は相手で、レーダーで早期発見⇒迎撃といった対策を準備していき、より狙った戦果を出すのが困難になっていく。

新人が飛んでいくこととなり、相手は対策を万全にしていくことになりますから、加速的に戦果がでなくなったのでは?と想定されます。

これ読んでて、どこか異常だなと思うのと、生き延びるということがいかに大変であるかというのが見えてきます。

特に、特攻隊に選ばれた方の夜の過ごし方とか見ていると、自ら進んでいくのではなく、その道を選ばざるを得ない状況に追い込まれていってしまう。その道を選んだがゆえに、死というものに対する不安とかに押しつぶされないように、必死になって向かっていっている。その姿が目に浮かびます。。。

 

ここいらのところって、最近話題の働き方改革の中の裁量労働制に少しかぶってきそうな気がします。

都合よく裁量労働制をつかっていくと、周りが使っているのになぜ使わないんだとなり。。。と考えると、似たような構図だなと。

あえて、あらがってみてもいいんでしょうが、昇進とかというものを目の前にぶら下げられたら、どうなるのかなと。

そういうのを見ていると、不安さを隠すように、気丈に振る舞っているのかなと。怖さを感じてなりません。

きっと、ドライに仕事ができない限り、裁量労働制は選んじゃいけないんでしょうね。。。

 

だいぶ脱線してしまいましたが。。。。