第二次世界大戦が終わった後、日本で立ち上げられた戦争調査会。
幣原喜重郎内閣の主導で立ち上げられ、41回の会合が開かれた。ただ、GHQの意向をうけて、吉田内閣のときに1年弱の活動で中止となったというもの。
この戦争調査会。ねらいは、次のとおり。
日本人自らの手で開戦、敗戦の原因を明らかにしようとしたもの
この本に書いてあるのは、新しい情報の類はない。ただ、膨大な情報がある。そこを読み解いていくことに意義がある。
歴史は多様な学び方を許容する。今日の問題関心と視点から当時の史料を読み解けば、歴史を活かすことができる。
この本を読んでの感想は、世の中で習っていった内容を憶えていくのではなく、その時々のデータをもとにじっくり見て、考えていかないとダメだなということ。こういうことって、難しいというのもあるけども、むしろそういうのをするのが大事なのかなと。
特に驚きなのが、第一次世界大戦後のブロック経済になっていく中で、日本がブロック経済に対して対抗するがごとく、輸出を増加させていたということ。
これはすごいなと。
頭の中では、ブロック経済⇒日本困窮⇒打開するために戦争へというイメージだったんですけどね。。。
その認識ががらがらと崩れていったという感じです。
あと、日独伊三国同盟が日本を苦しめる方向に進んでいったりと、見ていくと非常に考えさせられます。
むしろ、打った手が悪手というのを繰り返していったのではないかとすら思えてくるくらい。
ただ、当時の状況を踏まえると、現実的には、難しいのかもしれないですが、そうでなくても最善の手はなかったのか?というのを考えてしまいます。
そして、日本とアメリカの差ででてくるレーダーの話。
そのレーダーに関することについて一つ。
戦前の日本のレーダー技術開発は、米英に対してそれほど劣っていなかった。レーダーに必要なアンテナは「八木アンテナ」として知られるように、八木の発明だった。
その特許を特許切れにさせてしまい、そのアンテナをもとに、大量の研究者をつっこんでいった米英。その研究姿勢に対する差もあるのかなと。
工業力の差はいかんともしがたいところもありますが、こういう科学技術の面でも負けてしまったというのが大きいですねぇ。
そういうのを見ていくと、戦争の中身もそうだけれども、その前の部分でだいぶ差がついていたんだとかいろいろと考えさせられます。
最後に、この一言を。
戦争は単一要因ではなく、複数の要因の複雑な相互連関の結果として起きる。戦争の直接的な体験者がいなくなって何年、何十年を経ても、戦争の時代の全体像を考えつづける歴史的な想像力を鍛えなければならない。
想像力か。。。そのためにも、全貌を知るということが大事なんでしょう。
また期間をあけて読むこととします。