本のタイトルにひかれて購入。
学校で習って以来あんまり気にすることもなかった分国法。この分国法って、戦国大名が自国経営のために作ったという感じで教えられていたような気がしますが、読んでて印象がだいぶ変わりました。
むしろ、これを読んでみると、制定する側の苦悩がひしひしと見えてきますし、そこから自分の置かれた逆境をなんとか突破したいという想いも見えてくるのが面白い。
結城氏なんて思いっきり、愚痴そのものを書いてますし、考えの思考の履歴が読めていくのがいいかな。
まるで、雑記ブログのような感じがします。
そういうのがあるからこそ、苦労してたんだなと見えてきますし、もう少し違った戦国大名の側面が見えてくるのがいい。
この本に書かれているのが、今川氏や結城氏、武田氏など戦国時代に滅んでいった者たちのもの。
一方で、織田や徳川は分国法を作っていない。戦争を繰り返しているからこそ、不平不満をそこで解決していっている、うまく国外へ不満をもっていくことでうまく解決につなげていっているんだなと思えてきます。
近世でも、国内に不平不満が溜まってきたら、戦争を仕掛けることがあったようですし、そこいらは変わらないんだろうなと。
この時代の勝者に必要なのは「天下布武」を掲げて、外へ繰り出すイノベーションだった。対外戦争は領国内の些末な訴訟問題すらも解消してしまう万能薬であり、戦争に勝利しつづけてさえいれば、そもそも彼らに法制度の整備など不要だったのである。
身内がボロボロでも外へ繰り出していくからこそ、なんとかなっていったと思うと、まずは身を固めてから外へ飛び出していこうとして、失敗した。その対比が非常に面白い。
しっかり身の中を固めてこそ、なんとかなっていくというのはかなり幻想なのかもと思えたりもします。
分国法自体は、非常に先進的なものであったのですが、それがうまく活用されなかった。
純粋で”先進”的なものがかならずしも新しい時代を築くとは限らない。むしろ粗野で”野蛮”なもののほうが新時代を切り拓くというのは、人類史上に、まま見られる現象である。
それは、戦国時代という激動の時代だからこそ、なかなか活きてこなかったんだろうなと思えてきます。むしろ、泰平の世だったら必要とされていったんでしょうが。。。
作られるタイミングが悪かったといってもいいのかもしれない。
激動の世の中というのを考えると、身の内を固めることに全力を尽くすよりも、外に打って出る。そうすることで、身の内がかまっていくと考えると、コンプライアンスを守るというところは抑えておいて、そこから先は臨機応変にというのでもいいのかもしれないなぁ。。。