Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

日本人はどこから来たのか?/海部 陽介 ~再現の成功!すごい~

 本書を以前に読んでたのですが、ちょっと感想をかかずに放置していたら、このニュースが。。。 

news.yahoo.co.jp

 すごい。

このニュースがすべて。日本人は台湾のルートからも来てたといってもいいんだろうな。そういうのを感じさせてくれる貴重な話でした。

実験とか大事というけども、自らの身で試してみて検証してみる。そういう姿勢って大事にしないといけないし、真似していかないとなぁ。

 

さて、本書に関して。

日本旧石器学会の集計によれば、全国には旧石器時代の遺跡が1万箇所以上ある。これは世界有数のデータ量で、それだけの調査件数があるということにも驚くが、もう1つたいへん面白くかつ重要なのは、これらの遺跡の年代が3万8000年前以降に集中している、という事実だ。 

 日本へは人類は38000年前に到着していた。そこからの歴史か。。。

 

日本へのルートが次のとおり。

5万~3万年前と2万年前頃のどちらの地図からも、日本列島への移入ルートとして主に3つの可能性があったことが見て取れる(図5‐6)。朝鮮半島から対馬を経て北部九州へ至るルート(対馬ルート)、台湾~琉球列島をアイランドホッピングして北上するルート(沖縄ルート)、そして大陸の北側からサハリンを通って北海道へと南下するルート(北海道ルート)である。

 

この中で、参考となるのがこちら。当時の状況をみると氷河期だったことを考えると、今の形と異なり、陸地がつながっているとかの状況であった。それでも対馬や台湾から来るのは非常に大変なことかと思う。

①アジア大陸では黄海がほぼ消失し、中国東部の海岸線が100~400キロメートルも沖に張り出していて、台湾は大陸の一部になっていた。②日本列島では瀬戸内海が存在せず、本州・四国・九州がつながって一体となった「古本州島」を形成していた。古本州島と朝鮮半島とは、今よりも狭い海峡で分け隔てられていた。③北海道は、古本州島と離れていたが、サハリンを介してロシアのアムール川河口域まで陸続きであり、アジア大陸から南北に伸びる半島の先端となっていた。この半島は「古SHK(Sakhalin/Hokkaido/Kurile)半島」と呼ばれている。④琉球列島の島々も少し拡大し、石垣‐西表、沖縄‐慶良間など合体していた島もあったようだが、多くの島々は孤立していた。 

 

 上記のルートの中で難しいのは、台湾ルート。

台湾と与那国島の間には黒潮があるため、ちょっと気をぬくと流されてしまう。そう思うと、この黒潮をどう渡ったのか?というのが肝となっていく。

次の問題は、海流だ。現在、台湾と与那国島の間を、黒潮が横断している。フィリピン沖から北上して日本列島と絡むように流れる黒潮は、世界最大規模の海流の1つで、その幅は100キロメートルに及び、流速は速いところで毎秒2メートルに達するという。これを動力のない小舟で横断するのは容易であったはずはなく、海流に流されることを見越し、かつ航行距離が伸びることを覚悟して、台湾からの出発地を南に下げないと与那国島に到達することはできなかったはずだ。 

 これを人力で立証したのだからすごい。

草の船とか、竹の船とか試していたけど、なかなかうまくいかず、最終的には木の船か。。。

当時の人たちもそういうのを知識としてもつことでなんとかしていったんだろうなと思う。

そう思うと、チャレンジ精神というのが凄すぎると思う。

 

何はともあれ、実験の成功を祝いたいです。 

日本人はどこから来たのか? (文春文庫)

日本人はどこから来たのか? (文春文庫)