生きるヒント -自分の人生を愛するための12章- ~これを初めて読んだのは入院してたとき~
過去に入院してた時に、当時聞いてたラジオでふと流れていたのを思い出して、買って読んだのが、この本とのはじめての出会い。
もう先が完全に見えてなくて、自分は生きられるのだろうか?という状況に突入していましたから、なにかヒントやきっかけがあればと思ってです。
入院中、基本暇なので、何度も何度も読み直した記憶があります。退院したのちは読まなかったのですが、このコロナ禍というのもあり、なんかもう一度この本と向き合ってもいいのかな?と思って電子書籍で購入。
久々に読んでも、ちょっとたとえが古いかな?と思いますが、内容としてはふむふむと思えるところが結構ありました。
もともと、この本のスタンスは次のようです。
これはいわゆる「人生論」ではありません。また、生きる「思想」というようなおおげさなものでもありません。タイトルどおり、生活していく上でのちょっとした「ヒント」です。
基本ヒントなんですよね。人生論でもない。ただただ、ヒント。
最近読んでも、やはりコロナのニュースもあり、このことは気を付けていかないとと思うのが12章想うのところ。
<メメント・モリ>という言葉を訳しますと、<死を想え>ということになります。生きてあるその日のうちに死を想えということ。死を想うというと、何か非常に不吉なような感じがしますが、実際はそうではないんです。自分たちがどこから生まれてきてどこへゆくかということを一日も早く意識して考えること。そして、死をおそれることなく、まるでそういう観念が自分の友達でもあるかのごとくに親しんで生きることのほうが、実は大事なのです。
コロナ禍になってから、連日のニュースを見ていると、死というものが非常に近く感じるようになった気がします。気が付けば、いつかかっているかわからない。かかれば、重症化してしまうと、死すらも見えるというから恐ろしい。
だからこそ、日々気を付けて可能な限りの配慮や対策を行った上で、かかったとしても自分としてあれだけのことやってかかったのだから仕方がないと思えるところまで。
そして、死を考えると、今日という日を大事に生きていこう、惰性で生きてはいけないと思えるわけですから。
そう言う風に思えます。
今日で人生が終えても悔いなく生きたと言えるか?そういうのを考えてもいいのかもしれない。その覚悟の差が本当に死を迎えたときに納得できるのでしょうから。
ちょっと、生きるヒント2とか、続刊も読んでみようかと思います。いまだからこそ、また過去の自分とは違う目線で物事が見えるのかもしれないですから。