Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

坂の上の雲(二) ~久しぶりに読むと、思うことが変わりますね~

久しぶりに読み返してるのですが、以前の感想と比較をすると感じるところが違うんだなとつくづく思います。

前回読んだときは、秋山真之の話のところに興味があったのですが、今回は、完全に子規のすごさをつくづく思わされました。

 

短歌や俳句の世界に大きな功績を遺した子規ですが、これを成し遂げていくところを見ると、大病を患っての状態も加味すると、悲痛の一言。

ただ、その大病を患っているからこそ、自分のやることを絞り込み、徹底的に戦うと心に決めるというか、覚悟ができたのではないか?と思います。1巻のときの子規はどちらかというと、新しいもの好きという感じが抜けませんでしたが、2巻になって病気が重くなっていくにしれて、その覚悟が見えてくるというか。

世間と戦うという観点において、すごいことだなと思う。だからこそ、秋山真之が訪問し、話した際に秋山真之がこういうことを思うのだと。

子規のこの闘志は、そのあたりの軍人などが足元にも寄りつけるものではないことだけはわかった。軍人流にたとえれば、子規の戦いの主題と論理はつねに明晰である。さらに戦闘にあたっては、一語々々のつよさがあたかも百発百中の訪問からうちだされる砲弾のようである。

 

覚悟をするというのは、なかなか難しいことだと思う。そういう意味では、子規はすごいと思う。松山にいくことがあれば、子規記念館とか坂の上ミュージアムとか行こうかなぁ。

 

あと、秋山真之の話のところで、面白いなと思うのが次。

まず真之の特徴は、その発想法にあるらしい。その発想法は、物事の要点はなにかということを考える。

 

次のはなるほどなと思う。

それから得た知識を分解し、自分で編成しなおし、自分で自分なりの原理原則をうちたてることです。自分でたてた原理原則のみが応用のきくものであり、他人からまなんだだけでもつまりません。

学ぶだけでは血肉にならないんですよね。学んだことをさらに深堀して、自分なりの考えを確立していくことがいいのだろうなと思う。たとえ従来の原理原則にいきついたとしても、それを導き出した経緯で自分なりの考えが入っているし、より深いところに行きついているわけですから。

 

なんつうか、小説読んでるのに、どこか仕事のことが頭よぎるってのは。。。

さて、3巻読もうっと。