Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

坂の上の雲(七) ~いまにも通じるんだよなって思う~

奉天会戦の開始。

がちがちに固めたロシアに攻め込む日本。

戦略的に考えても、ここで膠着というのは、ロシアにどんどん戦力が補充されて行き、ロシアが有利な情勢になっていくので、時間に追われているかの如く攻めかかる日本。

 

結局最後の決め手は、組織の差だったんだろうな。権力の一極集中で、自分ですべてを決めたり、仲間内でいがみあいをしているロシアと、一枚岩でなんとかという日本。そこの差がでてきたような気がします。

そして、ロシアの作戦立案者の性格を見抜いて、そこを見透かすような作戦を立てる日本。

結局それが生きたという感じですかね。

 

ものすごく安全にいたがる相手に対して、それを脅かすような行動を繰り返すことで、徐々に相手の余裕を奪っていった。そういう感じ。そして、右往左往させて疲れさせてしまったという感じを受けます。最終的にはやばいと思っても、初志貫徹か、味方を信じる、任せるということをすれば日本の勝ち目はなかったんじゃないだろうかと。

そうなると、すべて勝負にだした日本は、抜かれたときに対応しきれなかったんだろうなって思えています。

 

なんか見たことあんなーって気がしてならないですね。自分の仕事でもね。

右往左往している人ら見てると、もっとどんと構えて、仲間を信じてやってよといいたい。

 

あとは、日露戦争の副作用と思えるのは、この一説な気がしてます。

日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。日本をめぐる国際環境や日本の国力などについて論ずることがまれになっても、いちじるしくない勢力を欠く論調になっていた。新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには太平洋戦争にまで日本を持ち込んでゆくことになり、さらには持ちこんでゆくための原体質を、この戦勝報道の中で新聞自身がつくりあげ、しかも新聞は自体の体質変化にすこしも気づかなかった。

これ、いまにも通じているなと思います。

ワイドショーとか、週刊誌報道とか、後はスポーツ報道。オリンピックやワールドカップとかで散々煽っておいて、そういう報道を見て、みんな期待をしてしまう。そして、ダメだった場合は手のひら返し。そして、たたく。そういう流れってどうなんだろう。もう少し冷静に判断をするというのが大事なのだろうなと思う。冷めたやつと思われるのが嫌かもしれないけども、したたかに生きていくというのはそういうことなんじゃないだろうかとも。