Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

ほんとうの親鸞/島田 裕巳 ~教科書で見た以来かな。。。~

浄土真宗の祖である親鸞

こう教科書で習った気がします。それだけでおしまいというのが認識。

あとは、戦国時代になってからの一向一揆。大阪の本願寺もあれば、三河一向一揆もありますし、加賀の一向一揆など、各地で一向一揆というのが多々。

そう思うと、土地に根付いた教えであったと考えるのが当然かなと。

 

浄土真宗というと、仏教の中で最大勢力といっても過言ではない。

浄土真宗 - Wikipedia

 

 この浄土真宗は、親鸞の死後、弟子や子孫によって大きな組織化がなされていった。

それは、いままでの既得権益を守るためというのと、弟子たちの自分たちの信仰を守るためのものでもあった。

ただ、本書を読んでいての感想は次の文章にあるのかなと思います。

浄土真宗という宗派は本来、誕生すべきではなかった。

宗祖とされる親鸞の実像を追っていくと、その感を強くする。親鸞自身には、新たな宗派を興そうという気持ちは微塵もなかった。親鸞はただ、法然の説く専修念仏の教えを忠実であろうとした。正確に言えば、忠実であろうとして最後まで揺れ続けた。

それほど、念仏をひたすら称え、阿弥陀仏の本願にすべてをゆだねるということは容易ではなかった。果たしてそれで本当に救われるものなのか、そうした疑いが生まれ、気がつくと自らで救われようとする自力のこころが立ち現れてくるからである。

 

自分がどう思っていようと、自分が亡くなった後、周りがどのように考えているのか?というのが大事なのかなと。

そして、親鸞自体が妻帯したことで、親鸞の血を引くものというブランドができあがったことも大きかったのだろうなと。これがあるからこそ、親鸞を祖とする浄土真宗というものがおおきくなっていった。そう言えるのかなと。

親鸞自体がカリスマとしてあがめられたのだろうなと。

 

ただ、カリスマについて 最後にこの一言が考えさせられます。

カリスマも超人も、ほんとうはいない。ほんとうの親鸞は、私たちと近いところにいて、生涯にわたって、正しい信仰の道を追い求めつつも、揺れ、惑い続けた存在なのである。

 この実像が知れただけでも本書をよんでよかったのかもしれない。

 

ほんとうの親鸞 (講談社現代新書)

ほんとうの親鸞 (講談社現代新書)