日本史の謎は「地形」で解ける/竹村公太郎 ~地形で説明できるというのは少し強引すぎる気がします~
自分の中で歴史ものを読むときは、どちらかというと、人間関係を見たり、地名でイメージして、おおよそのどこらで物事がおこったのかを想像していきます。
この本は、むしろ地形に注目することで、謎を解くというスタンスで書かれています。
読んでて思ったのは、地形的な影響はありつつも、やはり、そのときの情勢が色濃く影響しているのかと思います。地形だから説明ができるというのは、一要因を説明しているだけかなと。こういう要因もあるから、という目線をもつことが、より深く物事を見ることができるから、面白いなと。
何個か書いてあるのですが、印象的に残った話を3つ上げます。
信長の話から考えると、比叡山焼き討ちは、敵対勢力がよく通行するところに敵が居座っているというのがね。。。それに、比叡山のふもとの滋賀から京都への入り口になる逢坂峠は細く、横からたたかれると命を狙われる可能性があるわけですし。
そういや、金ヶ崎の戦いで信長を銃撃された経緯もあるわけですから、なおさら、そこを気にしたのかなと。。。
徳川幕府が吉良家を抹殺したというのは、赤穂浪士の話をベースにしています。大石たちが半蔵門付近に隠れていたのと、吉良を見捨てられたのは。。。というところから紐解いていってます。
もともとは、三河の岡崎(松平)と西尾(吉良)との水の利権争いが根幹にあったということに帰結してます。吉良は昔からいるから水の利権を握っているが、いざこざが多々あったのかと思います。
その長年のうらみを赤穂浪士を暗に支持することで、吉良への復讐をはたしたという。
面白いんですけど、そりゃ、こじつけじゃないかなぁってのも思いますが。。。
京都は、日本列島の中心であり、海外との窓口である敦賀から容易にいけるところというのでという説明でしたが。。。
京都の平安京へ遷都された当時は、日本の本州すべて統治していたわけではないはずですし、こじつけかなと。坂上田村麻呂が征夷大将軍になったのは797年であり、平安京遷都794年の3年後ですから。
もとの都奈良に近く、かつ利便性の優れる広い土地というところが、京都が選ばれた理由かと思います。昔の大阪は水気の多いところだったらしいですし。
とまぁ、突っ込みどころもありますが、いままでと違う目線でものをみるということは面白いので、そういう視点を増やしてくれたいい本かなと思います。
個人的には、本能寺の変とか、頼朝の死のほうの謎のほうが気になります。