Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

会社に使われる人 会社を使う人/楠木 新 ~立場を限界と捉えるか、制約と捉えるかか。~

自分の特徴として、ついつい仕事中心の生活になりがちです。

個人的にプライベートでしたいことがいろいろとあるけども、仕事でも成果をだそうと思うと、ついつい仕事を中心に回さざるを得なくなってくる。

それがいい悪いはあるんですが。

 

ただ、サラリーマンをしていて思うのは、自分に与えられた役割を全うすることを求められ、それ以上のことをすると立場をわきまえろとか、でしゃばりすぎとか、相手に気に入られたいからだろとかいろいろと言われる。

実際のところは、自分の役割を全うしたものがどういう風に形になっていくのか?というのを見たいだけなんですけどね。それは役割を越えているようで。

 

本書の中で、サラリーマンの立場の限界について4か条を記載されています。

第一条 努力したぶんは自分に返ってこない

第二条 自己実現はめざせない

第三条 取り替え可能な仕事である

第四条 根回し、調整が必要

まさしく自分が立場を越えて動こうとするといわれたり、するときにうっすらと感じていたものだなとも思う。

最近は、第三条あたりを理解して、自分の仕事をあえて取り替え可能な形にするようにしていく。そっちのほうにシフトしていってる気がします。そうすれば、自分が今の役割を背負い続ける必要もなくなりますしね。そして、新しい役割を手に入れるということも可能となるわけですから。

 

本書にも書いてありますが、サラリーマンの限界を限界と考えず、制約と割り切る。そうすることで、その中でどうやってやっていくか?という前向きにものごとを考えていく。物事って結構制約のある中でやったほうが考えも浮かぶし、あえて制約を一部外すという選択肢もでてくるわけで。

つまり、サラリーマンというゲームをどう楽しんでいくか?ということなのかなと。

 

そのためには、サラリーマン以外の視点をもつ必要がある。

異なる二つの視点をもつことで、両者のメリットとデメリットとが鮮明に見えてくるからだと思う。

 

さて、第二の視点を手に入れるのはどうしたらいいか?

サラリーマンの限界という塀は、内側からは簡単に崩すことができない。しかし外側からアプローチしてみれば、意外にたやすく突き破れるということを、私は坪内君から学んだ。”もう一人の自分”というと、副業のことしか頭に浮かばない人もいるが、仕事だけでなく、彼のように趣味を高じさせるなかで新たな自分を見つける人もいる。ボランティアや地域活動、学び直しなど、その範囲を幅広く捉えることが大切なのである。

会社外ということを知るということ。

そういう意味では、いまやっている放送大学で思うが儘に勉強しているのはいいことなのかも。

会社に使われる人 会社を使う人 (角川新書)

会社に使われる人 会社を使う人 (角川新書)

 

今年のGWは長いわ。。。

今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」

 

今回のGWは10連休と非常に長い。

まだ数日残っていますが、ぼちぼち仕事の日々に向けて準備を始めていかないとと考えているところです。。

個人的には、GWはここまで長くなくてもいいんですけどと思いつつも、それを満喫したらいいかと考えてはいます。

 

特に、今年は平成から令和に変わるというので、非常に貴重な年ということで、5/1にうろちょろして御朱印巡りを。あとは、城巡りをしたり、溜まってたテレビを見まくってたという感じです。

 

御朱印巡りや城巡りは別の機会に写真を載せていくつもりですが、御朱印巡りは本当に人が多かった。

 

三輪神社(大須)と、若宮八幡社にもいったのですが、両方とも人が多い多い。

特に、三輪神社は、神社周りでとぐろを巻くような感じで人でごった返していました。朱印帳を渡しても、書いていただくのに1時間超待ちとかでしたから。しかも、雨が降っている中でしたから。

そう思うと、すごい人の数が押しかけていたのだなと。もともとカラフルなところなので、人気なのは知っていましたが、ものすごい人ででした。

 

三輪神社の写真。

 

そして、その後に伺った若宮八幡社。ここも長蛇の列となっていました。

 

こう見ると、ものすごい人の中をうろちょろしていたのだなとも。

でも熱田神宮伊勢神宮とかはとてつもない人々だったようなので、どこか折をみてのんびりと参拝にいこうかと思ってます。

そのときは御朱印をもらっておこうかな。

 

さて、残り2日になっていますが、どうしますかね。悩ましい。

才能の正体/坪田 信貴 ~いかに相手を信頼するかか。。。~

ビリギャルの本ので有名になった方の本。

チームで仕事をしていく中でいろいろと参考になるところが多々。

いかに仕事をしていくのにどうすればいいのか?というのが見えてきて参考になります。

 

以前に仕事を一緒にした人に言われた次の言葉がいまだに耳に残ってます。

「できない理由を並べることはできるのに、どうしてこうしたらできるというような前向きの考えを言えないかな」

この言葉を聞いてはっとしました。どうしてもやりたくないという考えで、お断りのことを言うのを前提で動いていました。ただ、断るにしてもこういう課題をクリアしてくれればいいとか、交渉の仕方もあるのだなというのを知ったとともに、その考え方をすると、相手にも拒絶の反応がないというのも伝わるのか、交渉しやすくなるというか。。。

考え方ひとつで変わるのだなというのを考えさせられました。

できない理由を誰かのせいにした瞬間に、あなたは自分の才能の芽を枯らしている。

だからこそ、できない理由を作った時点で自分の才能をつぶしていて、さらに、相手の関係を壊してしまう。

「してやる」という感情での指導は、人間関係も、相手の感情も悪化させ、能力も伸びない。

こういうのを見ると、いかに信頼関係を作るのが難しいか。。。

 

そして、信頼関係を構築することができれば、その人のもとでなら働けるという感じになる。信頼関係があれば、仕事を委任することもできるし、リスクをとるハードルも下げることができる。

この信頼関係をいかに築くかというのが大事なことなのかなとも。

相手を信頼できて、相手から信頼されいてると感じられるところでなら、人は存分にその能力を発揮できる。

 

そして、人を育てていくには、ただ事実を伝える。主観的なことは言わないようにするのは難しいんですけどね。

理論的に合わないけど、なんでだろう?一緒に考えてみようとか相手をいかに動かすかなんでしょうね。

人の才能を伸ばすのが上手な人ほど、主観的な意見を言わず、ただ事実のみを根気強く言う。

 

自分にないものが多いんですよね。まず観察力なんてない。

「観察力」「洞察力」「想像力」で相手の思考や行動を見抜ける人が、「才能がある人」であり、「ビジネスで成功する人」です。

自分に足らないものばかりです。

 少しづつでもいいから、身に着けていきたい。

 

難しいんですけどね。。。 

才能の正体 (NewsPicks Book)

才能の正体 (NewsPicks Book)

 

連続投稿 1300日 今回は忘れなかった。もとい気づけた。

前回 1200日連続に気づけなかったという事案から、次の予定を計算してみて、5/2もしくは5/3あたりだろうと予測。

そこから、実際の日が近づいてくるのを見ながら、投稿日数を見てということをすることで、なんとか気づけてました。

ちょうど連休中でよかったです。本当に。

matypoyo.hatenablog.com

前回があまりにもスルーして、かつ1か月も忘れるというのがね。

 

ということで、特に書くこともないかなと思いつつ、次回の時期がどれくらいかというのを目安を付けてみときます。

1400日だと、おおよそ8/9,10ぐらいなので、Googleカレンダーにリマインダーとして登録。

 

さて、今回は前回の分とそんなに差がなかったので、前回投稿からの間に起こった様々なことを考えると、いろんなことがあったなということ。

実際は、1200日~1300日の間が本当に激動だった気がします。

身内が入院→手術とあったり、その入院中に急遽仕事が激務化したりとおかしい状態が続いていましたから。きっと前回投稿を忘れたのは、この激動の日々のせいだと思っています。

現状はなんとか落ち着いてはいますがね。

 

さすがに入院は身内がすると、看病にいったりするので、体力的に徐々に減っていく感じ。そう思うと、体だけは大事にしとかないとなと思います。

身内に迷惑をかけるのもありますけども、いざというときに体力が続かなくて自分も病気になるというのもねということで。

 

まぁ、自分の仕事の激務化はまだ続いていますが、対象が1つだけになればなんとかなるところもありますから。

本当にここの期間は、ストックの多さに救われてなんとかゴールにたどり着いたといっても過言ではないかなとも思ってます。

 

さて、これから1400日に向かっていろんなことがあるでしょうが、無事にたどり着けるように体には注意していこうかな。

令和時代の幕開け

はじめまして、令和。

 

今日から令和元年ですか。む、ふと思ったけど、年賀状で令和元年って書けないんですよね。来年のを書くとすると、令和二年元旦となるわけで。元年元旦ってパターンってそうそうありそうにもない気がします。

現状のルールで行くかぎり、天皇の交代のタイミングとなると非常に難しいのではないかと思います。計画的に変えるのであれば、可能性がありそうですが、年末の行事の多い最中にあえて改元しようとするわけないですし。

でも、元年元旦を書くタイミングできるとするなら、計画的に改元とかしない限り無理じゃないかと。でも一度でもいいから年賀状で元年元旦って書いてみたい気もします。

なんて、半年以上先のことを書いてしまいました。気が早い。

 

令和時代は、もっとデジタル化が進んでいくんだろうなというのと、環境というのが大きなキーワードになる時代になるんじゃないかなとも。

温暖化が進んでいる中で、それに折り合って企業が活動をしていき、豊かな生活を確保していくには、環境を大事にしていかないとも思う。

そうなると、CO2をいかに低減するとか、排出しないとか、効率性をあげていくとかそういうのが求められていくのだろうなとも。

 

そんなことを考えていくと、かなり大変な令和時代になるのじゃないかなとも思えてきます。誰も答えのない中を走り続けていく。その狂気の沙汰の状態が続くのかな。。。

 

さて、令和時代になったわけですが、やっていきたいことをつらつらと。

どんなに後悔をしていても、過去へは戻れないですからね。今の現状を肯定的にとらえて、前を向いて進んでいくそういうスタンスでいかないといけないかなと。

だから、前を向いて顔を上げて進んでいく。それくらいかな。

あとは、日本だけじゃなく海外についても知っていくというのも大事なことなのかなとも最近思ってます。

表面的に知るのは簡単ですが、根っこを知るのはなかなか難しい。ただそこをしっかり押さえられるようにやっていきたいかなと。

 

まぁ。振り返ってみていい時代だったなと思えるよう生きていきたいものです。

平成時代の終わり

本日をもって平成がおしまい。

 

平成時代を振り返ると、アナログからデジタルへとの移行がどんどん進んでいった時代だったと思います。

カメラや電話を始め、車にいたるまで多くのものがどんどん制御がデジタル化されていっていく。

そして、ものが一品ものから汎用品が多く作られるようになり、価格破壊というのが当然のように起きていった時代じゃないかなとも思います。ただ、最近になると、汎用品の多くの人が持っている物よりも一品ものが欲しいという流れがでてくるわけで。こういう戻りというのもすごい流れだよなとも。

このブログというサービス自体も平成時代にでてきたものですから、出版業への影響も大きいものですし。

そう思うと、生活に大きな影響を与えているものなんだなとも思えてきます。

 

平成が終わるというと、どこか感慨深い感じがします。

一つの時代が終わるという。。。

ただ、歴史的な視点で見ると、平成時代というひとくくりの中に入るのかなとも思ったりします。

鎌倉時代とか江戸時代とか長いんだけど、どこかひとくくりで考えてしまう感じてしまうところがありますから。

きっと平成時代とかそういう風にひとくくりに括ってしまってしまうんだろうなとも。

ただ、その時代を生きてきた人間としては、ひとくくりで考えられてしまうのもなと思ったりします。

 

学校で歴史を学んだつもりでいても、それは大きい流れであって、普通の人々がどのように考え、どう翻弄されて行ったのかというのもしらないままなんだなとも。

そういうところに視点をもっていくのも大事なことなんだろうなとも。

 

そんなことを思ってます。

 

最後に、自分自身にとっての平成時代は翻弄の一言かなと。

大病を患ったと思ったら、完治といわれるのに時間がかかったり、大学に残ろうか悩んだ挙句、企業に飛び出てみたりとか。企業では専門外のことに携わって、そこで成果をだそうと四苦八苦したりと。

そんなある意味試行錯誤や自分にコントロールできないことに対応したり、順応するのに明け暮れたような感じがします。

そんなことがあるからこそ、振り返ってみると、人生って面白いのかもなとも思ったり。

まぁ、最後に笑っていられるような人生を歩ければいいのかなとも思ってます。

 

次の令和時代に対する想いについては、明日書こうかと思います。

映画感想 レディプレイヤー1

だいぶ前に話題になってたのをようやく見てみました。

ガンダムがでるって話でしたし。

 

見ての感想は、ごった煮すぎるなと言うこと。ガンダムの活動時間が2分とか、ウルトラマンの設定とかね。

そして、最初のころの伏線をきちんと回収しているところとか面白い。

突っ込みどころはたくさんあるけど、それを越えてついつい見いってしまいました。

 

見てて思ったのは、仮想現実の世界が広がるとこの世界観のようになるのかなと言うこと。

仮想現実の世界に、大量のお金をつぎ込むようになるし、失敗して、すべてを失ったりすると放心したり発狂したりと言うのも。どこかネトゲの延長線上にある世界なのかなとも思えてきます。

 

見てておもしろいなと思ったのは、プレイヤーの動きと仮想現実の世界とが連動して動いているのとかおもしろかった。ただみんながそれをしていると全員がにたような動きをストリートでしているのとか皮肉にしか見えないところもありましたけどね。ある意味、VRのゲームが増えると他人から見ると、単なる滑稽なダンスや動きにしか見えないんだろうなとも。

 

ただ、謎解き自体がゲームの制作者の中におかれていて、よく見ていたら気づきそうなところなのにいままで気づかれずにいたと言うのが不思議でならない。

よく見て組み立てていけばみつかりそうのところなんだけどね。

 

最後のところでの一言が確かにと思う。

「うまい飯は現実世界でしか食べれない」

納得。現実の方がわからないことだらけのところもありますからね。それにしても、なかなかおもしろかった。

 

ゲームの世界って面白いけど、現実も、楽しいことがありますからね。

 

徐々にゲームの状況を見てAIが拡張していけばいいんじゃないかなとも思ってました。そうすれば、永遠にゲームを満喫できるというか。。。

少し前に書いたチューリングの証明のことを考えると、無理なんだろうなというのに気づいてしまいましたけどね。

結局どれだけコンテンツを用意できるかなのかな。そう思うと寂しいところもあるよなぁ。。。

 

レディ・プレイヤー1(吹替版)