Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

20歳のころって、人生見失って、どうしようかと途方にくれてたなぁ

今週のお題「20歳」ということで、自分の20歳のときを思い出してみます。

 

20歳かぁ。

大学生でした。しかも、ダメ学生側ですね。

 

夢や希望を失ってました。完全にやる気を失い、自分の道を見失ってた時期です。これから自分の人生をどう歩もうか、漠然としながら考えていたときです。ただ、生きてるだけでよかったと思って生きてる人になってました。

まぁ、いい言い方すれば、自分探しを始めてたのかもしれません。

徹夜でゲームしたり、麻雀したり、(20歳すぎてから)酒飲んで暴れたり、バカなことしたりしてたなぁと。。。。

 

 もともと大学には、航空関係の勉強や研究がしたくて、進学しました。その学校では、入学時にコースを決めるのではなく、大学1年目の最期に、学業の成績に加え、入試の結果をもとに、進学するコースを決定してました。

大学のコースとしては、次の3つ。

  • 航空関係・・・枠30名
  • 電気関係・・・枠70名
  • 機械関係・・・枠100名

の3つ。上から順番に人気がある順番でした。航空関係はロケットや飛行機がしたい人が、電気関係はロボットをしたい人がいくのが多かったと思います。機械関係はそのどちらかにあぶれた人がほとんどだったかなぁ。

個人的に第一志望の航空関係に行きたいと思ってたのですが、夢破れて、機械関係のコースに行くことになりました。しかも、選択肢もなく、コースの希望をきかれることなく、指導教官に呼ばれていったら、機械関係のコースになったからと伝えられました。

大学1年目に遊んでたわけではないんですよね。ただ、一年間休学してた。それだけなんですよ。

休学してた理由は、病気が発覚したから、その治療に専念するためでした。発覚は、入学前の健康診断です。そこで、異常が発見され、急遽大学病院へ。そして、入院、治療開始。

指導教官に連絡して、本人不在のまま休学手続きをしてもらいました。検査入院が4月だったので、治療完了が10月だったのを思うと、実に半年くらいは入院してたことになります。

 

幸い、運よく治療の薬が効いたので、後遺症等は特になく、退院し復帰することができたのですが、まぁ、重病説が地元に流れ、死んだことになってましたしねぇ。いまだに生きてるのが運がいいとしか思えないくらいです。

 

そんなことで、休学してたため、成績等一切無しの状況だったので、いかんともしがたく。。。コース分けがなったわけです。

 

このころはまだ病気をし、休学したというのが、自分の人生において、重くのしかかってくることをあまり考えていなかった時期なのかもしれません。

ただ、一緒に大学に入った人たちが就活をするのを見て、自分がどうなるんだろうと考え出し、自分の道を見つけたのは、23,4歳くらいのときですかねぇ。

ある意味、人生のターニングポイントだったと思えるのが20歳のころなのかもしれません。

 

 

今は、運よく拾ってくれた会社に勤めることができたので、うまくやってければいいなぁと思ってるところです。

20歳のころの学生時代に戻りたいか?といわれたら、戻りたくはないですね。あの先行きの見えない中で必死にあがくのはつらいし、過酷過ぎますから。