イタリア遺聞/塩野七生 〰オデュッセイアの読み方を変えてもう一度よんでみたい〰
ローマ人の物語を読み始め、作者のことも気になってきたので、購入してみました。
知らなかったのが、作者が男性と思ってた。。。ローマという固い内容を書いて、しっかり調べているのを踏まえると、自分の導き出した答えが、作者は男性。
この本を読んで、驚きだったのが、女性であったこと。そんな感じ一切しなかった。。。
研究者然としていて、わからなかっただけなのかもしれない。
これを読んでいると、作者がレオナル・ド・ダヴィンチが好きなのがよくわかる。この30話には、あふれんばかりのレオナルド・ダ・ヴィンチへの想いがあふれています。でも、大好きなレオナルド・ダ・ヴィンチは書くことができないそうです。その理由は次のとおり。
惚れたものしか書かない私だが、同時に、モノにできると確信が持てるものしか書かないのである。まだ書いてはいないが、マキアヴェッリやユリウス・カエサルも、書ける、という自信はある。同じように惚れていながらそれを持てない唯一の歴史上の人物が、レオナルド・ダ・ヴィンチなのである。
さらにつっこんで書いてます。
万能の天才とは、書き手にとってまことに困る存在である。とくにレオナルドのように、才能の大部分が自然科学に属している場合は、私のようにその面に自信の持てない書き手を絶望させる。
一人の人間の伝記を書くということは、つまり、その人物をモノにするために書くという私の考え方からすれば、彼を完全に理解し、それによって精神的にしても彼の一生を追体験できるという自信がなければ、、とうていできることではない。
どれだけ、レオナルド・ダ・ヴィンチに惚れているのだろう。。。
このレオナルド・ダ・ヴィンチは、ダヴィンチコードとか、ダン・ブラウンの小説のネタにもなってますからねぇ。非常に興味深い人物。
ただ、個人的にこの本で一番面白かったのは、第7話のオデュッセイア異聞。
オデュッセイアの大冒険が一体何を示すか?この解釈が非常に面白い。
「オデュッセイア」は、朝帰りするはめになった恐妻型亭主の、壮大な嘘の物語としてよまなければなりません
この観点を西洋版カモカのおっちゃんに教えられた作者は、その目線で読んで次のような感想を書いてます。
読めば読むほど、彼の仮説で解釈するほうが生き生きしてくる箇所にばかりぶつかり、読み進むにつれて笑いも進む、という結果に終わってしまったのは、大学で古典を専門にした私としては残念でならない。
解釈一つ変えるだけで、こうも変わるのか!というのが見えてきて面白いです。
さて、ぼちぼちローマ人の物語の続編を読みにかかりますかねぇ。