だまされない〈議論力〉/吉岡 友治 ~「人それぞれ」はシャッターしめてるのか。。。~
仕事の上で、議論をすることも多少なりともあります。
仕事の進め方やら、データの解釈の進め方とかで。
ただ、どうも議論がかみ合わないこともありますし、うまくはぐらかされることも。
ここいらのコミュニケーションがうまくいかないから、仕事がうまく回ってないんじゃないかと思うことすら。
特に、物事の解釈というところでは、自分の考えと他人の考えが合わないことも。
可能な限り、論理的に話を組み立てているところでも、一般と違ってたらその時点で拒否をされることもありますし。
そうなってくると、どうやっても話が成り立たない。。。
そこいらが非常に難しい。
極力取得するデータの偏りがないように、統計的に処理をするのを前提としてるんですけどね。そこの抜けというか、N数不足とかサンプルの偏りとかを指摘されるとどうにも。。。
そこから議論が変な方向にいき、発散。。。
- 通念に合わせて、データをねじ曲げる議論は多い
- データをねじ曲げる議論は、細部が矛盾する
- 非難しても反論されない権力構造が妄説を生む
まぁ、都合のいいようにデータを捻じ曲げるとたいがいあとで矛盾が発生してしまい、その火消しに追われますし。
火消しに追われないようにするのなら、最初から可能な限り、データを正しいと考えて、そのデータをもとに類推を重ねていくということが大事。
1つのデータに偏った意味付けを与えて、他の資料と突き合わせずに妙な結論を出そうとすることは、統計学では固く戒められている。ということは、逆に言えば、こういうごまかしは昔から頻出しているのだ。
これはまったくそのとおりだなと。。。
あと、なるほどなと思うのがこちら。
- 「人それぞれ」は他を尊重するようでいて、実はコミュニケーションを拒否する
- 社会への追従ではなく、主観を表現する言語を作り上げる必要がある。
- 議論は権力ゲームだが、それを認めることがコミュニケーションの基礎になる
ついついあそこは違うからとかいう発言をしてしまうことがありますが、その時点でコミュニケーションを放棄しているんですねぇ。
文化が違うからとかの言い訳ではなく、相手ときちんと話し合ったり議論をしていくことが大事ということか。
ただ、何をいっても通じない人に対してはどうしたらいいんですかね。
それでも、きちんと向き合っていくことが大事なんだろうなぁ。。。
悩ましい。