Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

ひとはなぜ戦争をするのか/アルバート アインシュタイン,ジグムント フロイト ~2人の天才がやりとりがすごすぎる。~

アインシュタインフロイト

1900年代に偉大なる天才と言われる二人の往復書簡でのやりとり。

 

もともとは国際連盟の企画(1932年)のようです。

そのときの条件が次のようなもの。

今の文明でもっとも大事だと思われる事柄を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。

アイシンシュタインが取り上げたテーマは「ひとはなぜ戦争をするのか?」

議論の相手に選んだのは、人の心の専門家フロイト

1932年といえば、ドイツでナチスが台頭し、日本が軍拡を進めている最中。

むしろ、これからまた戦争があるのでは?という雰囲気がある中でこの往復書簡。そして、このあとアインシュタインフロイトはアメリカ、イギリスへと亡命をしてしまう。

背景をしると、この往復書簡が1939年から始まる第二次世界大戦への予告のような感すらしてしまいます。

 

アインシュタインの疑問点で興味深かったのはここでした。

人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪にかられ、相手を絶滅させようとする欲求が!

~中略~

人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?

 

それに対するフロイトの解答の中で印象的なのはここ。

私たちが戦争に憤りを覚えるのはなぜか。私の考えるところでは、心と体が反対せざるを得ないからです。

その中で、文化の発展により心と体が変化していくことが重要なことなのだと。

私たちが追い求めるものー例えば、道徳や美意識にまつわるものーが変化してきたわけですが、この変化を引き起こしたものは究極的には心と体の全体の変化なのです。心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は2つです。1つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。2つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。

 

こういうのを見ていると、文化的な交流ができない、つまり相手が見えていない、知ろうとしていないというのが一番の問題なのかもしれません。

相手を知るということが大事なことなのかも。

戦争でなくても、日常でも使える大事な言葉です。

 

最後に、アインシュタインの指摘をひとつ。

「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちの方が、暗示にかかりやすいといえます。「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。なぜでしょうか?彼らは現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳でとらえないからです。神の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。

耳が痛い。やはり、現場で現実をみるということがいかに大切かを説いている感がします。

踊る大捜査線の青島の名台詞であるこれが頭をよぎりました。

事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!

字面で判断するのではなく、現実を見ていかないとダメですね。。。

 

それにしても、アインシュタインの切り口と話の展開は読んでて非常に面白かった。