Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

武器としての社会類型論 世界を五つのタイプで見る/加藤 隆 ~こういう分類もあるのね~

世界を5つに分類すると次のとおり。

  • 上個人下共同体・・・西洋
  • 上共同体下個人・・・中国
  • 全体共同体・・・日本
  • 資格共同体・・・インドの諸文明
  • 掟共同体・・・立法主義のユダヤ教社会

最初のふたつは、個人は自由、共同体は拘束を受けるもの。

 

こう考えると、中国は上位の者ほど共同体の拘束を受けるのに対して、下は自由に行動することができる。

かたや西洋は、下は共同体の拘束を受けるのに対して、上は自由に動ける。

日本は、すべて共同体の拘束を受けている。

 

おもしろい分類だなと思う。

全体共同体では、みんなが同じというある意味平等というのをベースになっている。ある意味、こうあるべきとか空気を読むとか、ある意味不文律の文化がある日本を表すのにはいい表現だなと思う。

 

この分類を見ると、科学技術が西洋で急速にすすんだのは次のように説明される。

「科学技術」が成立して、本格的に機能するためには、「役に立たない」知識を持っている知識人が広範に存在していなくてはならない。そのような者たちが存在したのは、「西洋的キリスト教による安定<二重構造>」における「聖職者」の領域においてである。もう少し具体的に言うならば、ヨーロッパの各地の修道院で、能力もあり、自由で、ヒマがあり、生活の心配もなかった、多数の修道僧たちがいなければならなかった。

 

つまり、ヒマな人間がいて、自由気ままな状況でないと、科学技術も進まなかったということですかね。

芸術の世界でもパトロンに助けられながら、絵画や音楽に励んだというのもありますし。

そう思うと、こういう見方をもつというのも面白いと思う。