Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

馬上少年過ぐ 読了

歴史作家といえば、でまず名前があがるのは司馬遼太郎

司馬遼太郎の作品は、昔よく読んでたのですが、歳を重ねるにつれてどうも歴史観的にあわないところが出始めてからは疎遠になってました。

理由は明確なのですけどね。。。

ただ、こういう事実があったのだ(会話等は不明であり、想像の範囲ですが。。。)という事実を目の当たりにしつつ、歴史小説を読むというのも楽しいです。

 

久々に読むと、やはり司馬遼太郎の文章・世界に引き釣りこまれました。国民的な歴史作家といわれるのも納得です。

 

今回の作品を選んだのは、ただネットのhontoAmazonでオススメにでてきたので。

 

内容としては、江戸期、幕末の話が主。

本のタイトルになっている「馬上少年過ぐ」は伊達政宗の話。それも、父親である輝宗がなくなるまでの話。幼いころにかかった病気のために、母親の愛情がなくなり、命を狙われることになって。。。そこまで複雑な少年時代をすごすのもただでさえ悲劇そのものなのに、家督をついだあとに、少年時代の葛藤と父の命が危ないのをしりつつも、伊達家を守るために非情な決断をせざると得ない状況に追い込まれていく様は、時代というものはここまで残酷なのか。。。と思わされます。

伊達政宗はその波乱万丈すぎる人生だからこそ、いまでも憧れや尊敬の対象になっているのだと思います。もう少し早く生まれていたら、もしくは輝宗自身が政宗だったら、歴史は大いにかわったんだろうなぁ。

 

個人的に面白かったのは、冒頭の河井継之助の話(英雄児)。最後の締めの言葉が物語りのすべてを語っていると思います。

「あの男の罪ではない。あの男にしては藩が小さすぎたのだ」

英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい。

有能が過ぎるが上に、時代の先を見据えて動き、さらに、自分の信念を通そうとした。ただ、そのことによって、本当に見るべき現状を見据えることができず、暴走してしまったと思えます。やはり、その時々の情勢をしっかり見て、的確に判断でき、ときには自分の考えを変えてでも最善の手を打つというのがいいのだろうなぁと。。。

河井継之助が長州・薩摩にいたら?、長岡藩が倒幕側についたら?、その後の歴史はどうかわっていったのか?ちょっと考えてみたくなる内容でした。

自分の信念を貫く前に、貫くタイミングを見据えて動かないといけないんだろうなぁと。時勢を捉えることのなんと難しいことか。。。

 

 最後に、脇坂甚内(安治)の話です。赤井直正から「貂の皮」を引き取るくだりも面白いですが、最終的に「貂」のごとくの人物となり、歴史の荒波を乗り切り、徳川から本領安堵を受けるあたり、時勢の乗り切り方に差があるなぁと。

なんか、最初と最後のところを対比すると、時勢に乗ったものは生き残り、大成していったのに対し、時勢にのりきれなかったものは破滅へと進んでいった。それを見せ付けられるような気がします。

 

馬上少年過ぐ (新潮文庫)

馬上少年過ぐ (新潮文庫)