放送大学 第2学期開始
ようやく10/1に。
仕事も下半期が始まるし、放送大学も2学期が始まります。
上半期の嫌な雰囲気をスルー出来るくらいいいといいのですが。。。
まぁ、それは自分の心持次第ですかね。
さて、9月末にテキストも無事に届いて、さて今月からやっていこうかと思います。
今回受けるのは次の5つ。
授業 | 媒体 | 曜日 | 時間 |
---|---|---|---|
交通心理学 | テレビ | 土 | 7:30-8:15 |
社会・集団・家族心理学 | テレビ | 水 | 7:30-8:15 |
臨床心理学概論 | テレビ | 月 | 12:00-12:45 |
データベース | テレビ | 火 | 15:00-15:45 |
日本語リテラシー | テレビ | 金 | 9:00-9:45 |
これ見ると、今日からさっそくでしたね。
うーん、あんまり気にせず申し込みましたが、適度に分散しているのもありがたい。
問題は、11月末付近にある課題の提出。いつもぎりぎりになっているので、余裕をもってやっていきたいかと思ってます。そこまで続けることができれば、なんとかなりそうな気もしてます。
今回もテストは、自宅で受けられるので、そこを期待かなぁ。。。
うーん、コロナ続くのかなぁ。それとも。。。
ちょっと悩ましいところかなと思ってますが。。。
今回表をつくるのにはてな記法を初めて使いましたが、これ使い慣れると便利かもしれないですね。
ちょっとネットあたりを探してみて、調べてみようかと思います。
9月の振返り
なんとかかんとか、無事に3月末から続けている連続投稿を継続。
知多四国八十八箇所巡りのネタが完全に枯渇。当初はじめたときは、9月くらいにもう1回行こうかな?と思ってたんですが、緊急事態宣言がでて、その延長の影響をおもいっきり受けてしまってる感じです。
緊急事態宣言があけて様子を見ながらやることにしようかと思ってます。やっていかないとネタの枯渇が継続して、どうするか?という問題が再浮上するわけですから。
ワクチン接種された方が増えて、感染が鈍化していけば、もうちょっと動けるようになるんで、18きっぷや、フリー切符とかを活用してうろちょろとできるわけで。。。さすがに、どこかでかけたいなと思うところも正直あります。
でも、自粛しておいたほうがいいと思っている所存。さすがに感染した場合のリスクというか仕事に迷惑をかけてしまうとかのことが頭よぎるとなると、ついつい。
お休みしていたときの投稿していない旅行ネタをどうするか?というのについては、いまだに答えがでてないです。ブログに投稿できるネタのストックがどれだけできるか?かなと思ってます。さすがに旅行に行かないとネタの枯渇が早いというか、瞬間で消えていく感じです。。。
まぁ、気になっているところもあるので、そこいらに行くのも手かな?といまは思っておりますが。。。
堀川のラストや、中川運河とか、あとは名古屋城とか久々に行きたいなとかね。。。
話は変わって、書籍の感想の方はなんとか再開させている感じです。読む速度がまだそこまででてこないんですよね。以前の読むスピードの7割くらいな感じがしてます。やっぱ慣れなのかなぁ。
さて、10月も続けられるか?個人的な興味はそれくらいです。
眠れないときは、とりあえず布団にこもって、暗い感じにしてることが多いかな。
今週のお題「眠れないときにすること」
最近は寝落ちに近いように寝ていることが多いので、寝れないというのを経験はあんまりしてないですね。
布団に入って、10分~20分くらいで寝ている気がします。
そのときにしていることって、うーん、ただ暗くして眠る感じです。ちょっと光が明るいかな?と思ったら、布団をかぶってより暗く密着感をもって寝ようとしている気がします。
でも、たまに寝つきが遅いときがあるので、そのときは、布団を温めたりしつつ、スマホでYahooニュースを見てるか、Yahooファイナンスを見てるか、もしくはテレビをつけてぼーっと深夜番組を見るかですかね。
本当にぼけーっと。
何も考えていないし、そのまま映像や文字が流れていくという感じです。
眠れないときに本を読むと、面白いと読み込むこともあったので、あんまり本は手を出さない。あとゲームも同様。むしろ、ゲームの方がやばい。
暑いときで寝れないなと思ったら、扇風機やエアコンに一度当たって、体の熱を冷ましてから寝てます。
でも、一番困るのが、予定より少し早く起きたときなんですよね。
6時に起きようと思ってたのに、目が覚めたら4時あたりとか。うーん、もう一度寝るか?いっそのこと早起きということで起きて、普段やることを早めにやっておいて、そのあとゆっくりと朝を過ごすのか?とか。結局決めきれずに、布団の中でごろごろというのを続けて、気が付けば、再度寝て、気が付けば予定時間を30分以上オーバーしてしまうことも。そして、あのとき起きておけばよかったと反省することも。。。
ここいらは行動を決めておいた方がいいんですかね?ついつい寝ておきたいと思うんですが、それが寝坊に繋がっているなら、何時なら起きる、何時なら再度寝るという風に。決めてたら、判断早いから、悩みも少ないだろうかなと思ってます。
うーん、答えはいまのところない。ないまま進んでいくんだろうなと思ってます。
連続投稿 半年達成
投稿を再開して、なんとかというか無事というか、半年達成しました。
うん、半年っていい感じですねぇ。
ちょうど緊急事態宣言があるので、旅ネタが厳しいところもあるので、県をまたがないレベルでどうやっていくか?というのをネタを絞り出しながら。
でも、ふとした普段の疑問とかを疑問のままにせずに確認していこうとすると、意外とネタってあるんですよね。そこから学ぶことも多々ありますから。
川に沿って歩くのも、もともと山崎川ってどこから流れているんだろうと思ったから。GoogleMapで見ることはできる。でも、そこまで行くのを目的として歩いてみると、わかるところもありますから。
自転車でもよかったんですけどね。歩きでやっているのは純粋にダイエットも兼ねているからです。やせようというために、歩くという目的で。
なんつうか、混同してます。
問題は書籍の読むペースが落ちてきているところですかね。
それが一番ネック。
通勤時間が減っているのが大きいところかなと思ってます。おかしいよなぁ。通勤時間が浮いているはずなのに、読書の時間が減っているっていうのも。
もうちょっと時間の使い方を見直してみてもいいのかな?て思います。
きっとテレビを見ている時間が多いんだろうなって思う。
もう少し時間を有効に使うようにできれば、いろいろなことができるのかもしれない。やりたいことを始めたり、情報を集めたりしていくこともできるわけですから。
そんなことをつらつらと書いて、今回は終わりとします。
佐屋街道を歩く その1 位置づけ
緊急事態宣言につき、さすがに知多四国八十八箇所巡りを続けるわけにはいかないので、緊急事態宣言下はあまり人に接触することが少ないことをしようというのと、県内で極力収まることをしようと考えて、候補にでたのが次の3つ。
このうち、3の東海道は、すでにある程度歩いているんですよ。お休み期間中に。それに城めぐりも多少はしているので、そこいらをおいおい載せていくか?それとも過去にさかのぼって書いていくか?どちらかだろうかなぁと悩んでいる所存。
過去を埋めていくのでもよし、これからちまちまと書いていくでもよし。ネタ枯渇の懸念がある中、過去のところを埋めていくのもなんだかなぁと思ったりしてます。ただ、それをやるメリットは連続投稿維持という観点では大いにあるわけで。どうせ切れた状態なのはかわらないので、そこはいじる気はないですけどね。
ということで、再度同じルートで東海道を歩くというのは何かなぁということで、1か2。せっかくなら、東海道の宮の渡しから桑名に行く際の別のルートでもある佐屋街道かなぁと。
佐屋街道のことを見ていると、家光の時代につくられたものということだそうです。海が荒れてても移動できるというのが大きなメリットなのですかね?
ということで、これからちまちまと載せていきます。
生きるヒント2 ~がんばれという言葉は難しい。~
病気のときに、この2を読んでひどく感じたところがあります。
それが、「励ます」。
病気の時って、がんばれって言葉をよく言われた気がします。
つらいだろうけど、がんばって。
とかね。
ただ、なんか違和感があったんですよね。その想いをいだきつつ、この本を読んで、ああ、自分が思っていることに近いことを言ってるなと。。。
本当は単純に「がんばれ」と口走ってはいけないのではないか。そして人が「がんばる」ことには、何か問題がありはしないか。
病気だから、がんばるって?みんながんばってるし、もうすでにつらい治療を耐えてがんばってるじゃんって。治療がうまくいくかどうか正直分からない先行き不安の中、がんばるのって限界だと思うんですよね。そこで、「がんばれ」と言われてもなぁ。。。というところです。
正直、「がんばれ」という言葉は、他人行儀というか、突き放したような感じがします。自分に余裕があるときはいいんですが、孤独感を味わっているときに「がんばれ」といわれたら、自分は関係ないから応援しているからといわれてもね。そういう応援なら、正直、ほっといてほしいといいたくなりますもの。
なんでそういう言葉がでるんだろうと思ったら、こういうことかなと。
医学は至上命令として人間に<健康>を強要します。病院では<健康>が善で、<病気>は悪なのです。そして、その悪をやっつけ、叩き潰し、それに勝つことを無条件に正しいとする立場をとります。
じつは、そこに大きな無理があるのではないか。~中略~。これまでとは別な角度から本当の人間の<幸福>とはなにかを模索しようとします。
病気は悪だからこそ、倒すべきもの。そう言う風に漠然と考えていたのかもしれません。いまは、それと仲良くやっていくというのも一つの手。そういうふうに最近は考えてます。一生付き合っていくのであれば、そこととことん向き合いつつ、無理をせずにすごしていく。そういうのが大事なのかなと。
最近は、「がんばれ」という言葉を安易に使わなくなった気がします。なんか一言「がんばれ」というくらいなら、「何かわからんことや困ったことがあれば、手伝うよ。手伝うのが無理なら、相談にはのるよ。」そういう言葉を出している気がします。
一緒に立ち向かうというよりそうというか、そういうことを考えてもいいんじゃないかな?と思ってます。それが回りまわって自分が困ったときに助けてもらえるかもしれないですから。