Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

生きるヒント2 ~がんばれという言葉は難しい。~

病気のときに、この2を読んでひどく感じたところがあります。

それが、「励ます」。

病気の時って、がんばれって言葉をよく言われた気がします。

 

つらいだろうけど、がんばって。

とかね。

 

ただ、なんか違和感があったんですよね。その想いをいだきつつ、この本を読んで、ああ、自分が思っていることに近いことを言ってるなと。。。

本当は単純に「がんばれ」と口走ってはいけないのではないか。そして人が「がんばる」ことには、何か問題がありはしないか。

 

病気だから、がんばるって?みんながんばってるし、もうすでにつらい治療を耐えてがんばってるじゃんって。治療がうまくいくかどうか正直分からない先行き不安の中、がんばるのって限界だと思うんですよね。そこで、「がんばれ」と言われてもなぁ。。。というところです。

正直、「がんばれ」という言葉は、他人行儀というか、突き放したような感じがします。自分に余裕があるときはいいんですが、孤独感を味わっているときに「がんばれ」といわれたら、自分は関係ないから応援しているからといわれてもね。そういう応援なら、正直、ほっといてほしいといいたくなりますもの。

 

なんでそういう言葉がでるんだろうと思ったら、こういうことかなと。

医学は至上命令として人間に<健康>を強要します。病院では<健康>が善で、<病気>は悪なのです。そして、その悪をやっつけ、叩き潰し、それに勝つことを無条件に正しいとする立場をとります。

じつは、そこに大きな無理があるのではないか。~中略~。これまでとは別な角度から本当の人間の<幸福>とはなにかを模索しようとします。

 

病気は悪だからこそ、倒すべきもの。そう言う風に漠然と考えていたのかもしれません。いまは、それと仲良くやっていくというのも一つの手。そういうふうに最近は考えてます。一生付き合っていくのであれば、そこととことん向き合いつつ、無理をせずにすごしていく。そういうのが大事なのかなと。

 

最近は、「がんばれ」という言葉を安易に使わなくなった気がします。なんか一言「がんばれ」というくらいなら、「何かわからんことや困ったことがあれば、手伝うよ。手伝うのが無理なら、相談にはのるよ。」そういう言葉を出している気がします。

一緒に立ち向かうというよりそうというか、そういうことを考えてもいいんじゃないかな?と思ってます。それが回りまわって自分が困ったときに助けてもらえるかもしれないですから。