Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

人生を面白くする本物の教養/出口治明 ~知識をいれても、それを活用して自分のものにしないといけないんだよなぁ~

教養とは何か?

本書では、次のように書いてあります。

教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです

自分は、教養=知識というイメージでいましたが、もう少し深く切り込んでます。

教養を身に着けるには、ある程度の知識が必要です。教養と知識は、不可分の関係にあると言っても間違いではありません。しかし、勘違いしてはいけないのは、知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。決して知識を増やすこと自体が目的ではない。

教養を身に着けるのに、ある程度の知識は必要と認めつつも、知識の膨大化は意味がなく、使えるようにしないといけない。

よく、知識は使ってみてはじめて知恵となるという言葉がありますが、まさしくそのとおりと合点しながら、読んでました。

いろんなことで、なるほどなぁと思ったり、そういう視点があったのか。と思うことが多々。

このくらい物事を深く考えることができれば、もう少し物事の考え方に奥行きがでて、深く、さらに先を見据えた考え方ができそうです。

 

読んでて思うのは、教養は、どの程度必要か?ということ。一般的に、広く浅くといいますが、著者は、広くある程度深く。教養がほしいとおもったら、いつはじめるか?いまでしょ。

「いまさらもう遅い」は言い訳。

と、ばしっと言い切るから手厳しい。「タイミング逃した」というのは言い訳なんでしょうね。やらなきゃならいときにやっておくってのが肝なんでしょう。

 

あと、物事を理解するには、「タテ」と「ヨコ」で考える必要がある。

  • 「タテ」とは、時間軸、歴史軸
  • 「ヨコ」は空間軸、世界軸

時間軸と空間軸で考えるということは、先人が繰り返してきたものから学ぶことであり、さらには、世界の人々の考えや実践法を学ぶことは、大きなヒントとなる。

歴史から学べということはよく言われます。それに、様々な人の考えに触れろというのもよく言われます。その2つとも大事だといわれるのはなかなかないかなぁ。この2つを突き進めるのはなかなか至難の業です。

 

この本の中で、なるほどなと思ったことを1つ。

北欧では子どもたちに選挙について次のように教えるそうです。「もし、あなたが有力候補を支持するのであれば、3つの方法があります。すなわち、有力候補の名前を書いて投票するか、白紙で投票するか、棄権するかのどれかです。逆に有力候補を指示しないのであれば、あなたには1つの方法しかありません。すなわち投票に行って別の候補者の名前を書くしかないのです」と。

これは、ある意味、真実かなぁと。投票率が低いということは、現状でいいということの現われなのだなと。選挙にいけ!とマスコミがいうのはいいかもしれませんが、それ以上にこういうことを教えないといけないよなと思いました。

投票にいかなければ、その分有効票は減るから、有力者が有利になるのは事実ですからね。

なんか、こういうことを知るかどうかが、徐々に大きな差になっていくんでしょう。いや、自分の頭で考えてその答えを出すことが大切なんだろうと。

 

人生のうち、働いている時間なんて、3割程度いや、それよりも短いものです。そこに振り回されるのではなく、残りの分のことも考えて、様々なことを知り、チャレンジして楽しんでいきたいものです。

でも、お金のことは大事だよなぁってのも思いますがね。。。