卒業って、最近全然関係がないなぁ。。。
今週のお題「卒業」
卒業なんて、最近全然関係がないので、とりあえず自分を振り返ってみて、印象的なものを2つ書いてみます。
- 中学の卒業。
- 大学院の卒業。
中学の卒業
中学校の卒業で、義務教育が終わるというのもありますが、それよりもむしろ行きたかったところに通える、さらには、しがらみから逃れられるというのがあります。
自分の通ってた中学は、小学校からほぼエスカレート式であがってくる田舎のところだったので、小学校⇒中学校のときに知らない人がいるということはまずなかったです。そういう意味では、かなり閉鎖的な感じのところだったのかなと。よく言われるムラ社会という感じでしょうか。
そういう中にいたので、中学生活に対して、あんまりいい印象をもっていなかったです。閉塞感のほうがかなり大きかった。その閉塞感を受け入れたまま、中学までで培った人間関係を大切にして、高校⇒大学へと進むというのもあったんでしょう。ただ、そのときの自分は、過去のしがらみにケリをつけて、次のステップに行きたかった。むしろ、未来へのワクワクが大きかった気がします。
中学を出てから、一度同窓会には出たことがありますが、少し疎外感も感じたので、まぁ進む道が変わったのだから仕方がないのかもと思ってます。
たまに地元に帰ることがあっても、同級生にあうこともなく、好きな風景を見に行ってそのままのんびりとというパターンが多いです。
もうちょっと歳を重ねたら、地元に対する想いも変わってくるんでしょうかねぇ。
大学院の卒業
少し前のエントリーでも書いたことの重複になりますが、中学の卒業よりもこちらのほうが印象深いです。
大学という学びの場を離れ、社会に出ていく。その恐怖感と、ようやく卒業できたという安堵感。その2つが入り混じった複雑な感情になっていたのはあります。
卒業式の後、研究室でお疲れ様会があるのですが、そのとき食べたピザの味とかあんまり覚えてない。ただ、これから社会人になるんだというワクワク感しかなかった。
もし、大学に残ってたらそんなことを思ったりせず、そのまま、卒業はしたけど、生活変わんないなぁ、むしろ、厳しくなったなぁくらいの認識だったのかもしれませんが。。。
この2つが印象的なんですが、今振り返ると、そこまででもないのかも。
でも、そのときの自分にとっては、大事な節目だったわけです。そういうのを考えると、その時々で考えていることとかって変わっていくのだから、変わらずにいるということがいかに難しいことかと考えさせられます。
変わらないがいいのではなく、その時々にとって最適だと思うことをしていく、というほうが楽なのかもしれないですねぇ。。。
戦場の都市伝説/石井光太 ~都市伝説って怖いイメージしかない~
怖い話として多いイメージがある都市伝説。
定義としては、次のようなもの。
都市伝説(としでんせつ、英: urban legend)とは、近代あるいは現代に広がったとみられる口承の一種である。大辞林 第二版には「口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの」と解説されている。(wikipediaより)
この本では、戦場である都市伝説について書かれています。
書かれているのは主に第二次世界大戦以降のもの。
読んでて、ちょっとむごたらしいものが多いのですが、気が付いたらあっという間に読み終わってました。
どうも怖いものみたさというのもあるということでしょう。
読んでいて面白いと思ったのは、都市伝説の内容として似たようなものがあるということでしょうか。
たとえば、次の3つの話。
この3つはかなり似ている。
ビクトリア湖の巨大魚は、ウガンダでアミン大統領時代に虐殺が発生しており、その犠牲者がビクトリア湖に放棄されていた。それをビクトリア湖の魚が食べることで巨大化していった。実際は、外来種のナイルパーチが異常繁殖したことが一因。
それがいつの間にか、次のような論理で尾ひれがついていった。
アミンが大虐殺を行っている→兵士が犠牲者をビクトリア湖に捨てている→魚がそれを食べている→魚が巨大化した→魚が人間の味を覚えて襲うようになった
これに似た例が、カンボジアにもある。
カンボジアの赤いバナナも虐殺された人々が放棄されたところにあるバナナが赤く育ったとかという類の話です。メコン川の魚は、ビクトリア湖と同じ経緯でしょう。
戦後の東京湾では、東京空襲で投下された焼夷弾を逃げて川へ逃げ込んだ人々が、あまりの人の多さに溺死したりしたというのもあり、それを食べた魚が大量に育ったというのが噂のもと。実際は戦時中にあまり魚をとれなかったので、魚の数が増えていたというのも一因。
こういう風に見ると、この件以外にも似たような事例が多々紹介されています。それを踏まえると、次のことがいえます。
国や文化が違えども、戦争における人間の思考には一定の法則みたいなものがあるのかもしれない。
あとは、独裁者を公開処刑とかするのは、実は生きているというのを防ぐためのようです。
日本でも織田信長や源義経など実は死んでないという説がよく出てきますし。似たようなものなのかもしれませんねぇ。
人間の想像力って恐ろしいなと思わされた本です。
都市伝説というのは戦争というものをしてしまう人間が知らず知らずに自らの心を守る自己防衛として生み出したものではないか?ということ。 戦争や虐殺という悲劇を繰り返さないよう、そして暗にそれを行う側に思いとどまらせようという意思が込められているようなきがしてなりませんでした。
博士号について その4 ~博士をもつことについて~
博士号についての第4弾。
これで最後です。今回の4つを書いていて、日ごろ漠然と考えていたことを整理できました。
博士を取得して、企業で働いていて良かった点、悪かった点を自分が思うがままに書いてみます。
良かった点:
- 名刺に 博士(工学)とか、博士(理学)といったものをつけれる
- 英語圏に出張するときにビザの発行手続きのときにDr.を選べるときがある(選べたところでいいことはない。自己満足の世界です)
- 他社の人と話すときに、名刺の情報から「何を専門ですか?」とかを聞かれ、話をするきっかけを作りやすい
悪かった点:
- 職場の期待が大きすぎる、さらに周りがよく見ている。
- 勝手な博士像を作られ、それと違うねとかいろいろと言われる。偏見がある感じがする。
- 短期間で成果を求められる(たとえ専門外であっても)
- 比較対象にされやすい
- 博士だから英語や語学が堪能だと思われる
- 同い年の方たちのほうが、仕事をよくできる感じがしてしまう。さらに、役職や仕事内容で結構な差がついてしまう。
ここいらでしょうか。よかった点なんかよりも、悪かった点の方が多い。
良かった点は自己満足です。よく言われる次の言葉はいい得て妙と思います。
博士号は足の裏についた米粒と一緒。とっても食えないが、とらないと気持ち悪い。
そういうのを踏まえると、ほとんどメリットなんてないですね。普通にやっていこうと思うなら、一番面倒な偏見をもたれることを考えると、博士号は企業で働きはじめるときにはあまり必要ないと思います。
ただ、最初の過度な期待を乗り越えるくらいのパワーをもち、周りに認めさせることができれば、仕事がやりやすくなっていくんでしょうが、なかなか。。。
場合によっては、会社の都合で専門分野外の仕事をさせられることがあります。その状況下でも博士の能力を生かそうと思うなら、生かすことは可能です。
博士の能力としては、個人的には次のように考えています。
- 自ら考えて仮説を立てることができる
- その仮説の検証をするために動ける
- 成果をまとめて、報告できる(論文を書ける)
結局は博士課程の中でやっている研究に必要な研究能力に行き着きます。
これらは普通に仕事のできる人なら、当たり前にやっていますから、その人たちを見ていると、特に博士を取らないとできないことではないよなと思います。
博士をもつことの意味は、自分でいろいろと進める能力をもっているとお墨付きをもらうようなものかなと。
その能力をどう活かしていくかは、本人次第なんだと思います。
自分の専門分野を深く掘り下げていくのもいいし、専門分野外に飛び込んでいくのもいい。人それぞれの生き方でないかなと思います。
個人的には、新しいことに飛び込んでいき、自分の専門分野をうまく活かす方法を探すほうが楽しいので、好奇心とチャレンジ精神、そして気合と根性で突っ走るタイプになります。
これから博士に行く予定の人や、いまから就活していく方々に少しでも参考になればと思い、書いてみました。これから頑張っていただきたいです。
この4回で書いていて思ったのは、最後に行き着くのは最初に書いた恩師の言葉でした。
博士号は、取得してからがスタート。取得時は仮免のようなもの。博士号の資格があるかどうか、これからの研究や仕事の取り組み方・成果を出せるかで決まる。
とったら終わりではなく、そこからが新しいスタート。
取得で浮かれてた過去の自分にそう言い聞かせたい気持ちでいっぱいです。
ひとはなぜ戦争をするのか/アルバート アインシュタイン,ジグムント フロイト ~2人の天才がやりとりがすごすぎる。~
1900年代に偉大なる天才と言われる二人の往復書簡でのやりとり。
もともとは国際連盟の企画(1932年)のようです。
そのときの条件が次のようなもの。
今の文明でもっとも大事だと思われる事柄を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。
アイシンシュタインが取り上げたテーマは「ひとはなぜ戦争をするのか?」
議論の相手に選んだのは、人の心の専門家フロイト。
1932年といえば、ドイツでナチスが台頭し、日本が軍拡を進めている最中。
むしろ、これからまた戦争があるのでは?という雰囲気がある中でこの往復書簡。そして、このあとアインシュタインとフロイトはアメリカ、イギリスへと亡命をしてしまう。
背景をしると、この往復書簡が1939年から始まる第二次世界大戦への予告のような感すらしてしまいます。
アインシュタインの疑問点で興味深かったのはここでした。
人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪にかられ、相手を絶滅させようとする欲求が!
~中略~
人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?
それに対するフロイトの解答の中で印象的なのはここ。
私たちが戦争に憤りを覚えるのはなぜか。私の考えるところでは、心と体が反対せざるを得ないからです。
その中で、文化の発展により心と体が変化していくことが重要なことなのだと。
私たちが追い求めるものー例えば、道徳や美意識にまつわるものーが変化してきたわけですが、この変化を引き起こしたものは究極的には心と体の全体の変化なのです。心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は2つです。1つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。2つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。
こういうのを見ていると、文化的な交流ができない、つまり相手が見えていない、知ろうとしていないというのが一番の問題なのかもしれません。
相手を知るということが大事なことなのかも。
戦争でなくても、日常でも使える大事な言葉です。
最後に、アインシュタインの指摘をひとつ。
「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちの方が、暗示にかかりやすいといえます。「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。なぜでしょうか?彼らは現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳でとらえないからです。神の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。
耳が痛い。やはり、現場で現実をみるということがいかに大切かを説いている感がします。
踊る大捜査線の青島の名台詞であるこれが頭をよぎりました。
事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!
字面で判断するのではなく、現実を見ていかないとダメですね。。。
それにしても、アインシュタインの切り口と話の展開は読んでて非常に面白かった。
仕事帰りのバスケ観戦
2/17に仕事帰りにバスケを見に行ってきました。
正直いっている場合じゃないけども、仕事しすぎだったのでまぁいいかと思い。。。
始まる前からすごい人が多かった。
最終的には立ち見もでて、2908人の来場ということなので、すごいなと。
スタジアム自体が小さいので、見ていて楽しいです。
まぁ、スポーツ観戦しながらビールを飲むという醍醐味を満喫するためです。そして、スポーツ観戦で声をだして、ストレス発散。
どーも君がダンスしてたりと驚きです。
どーも君待機中。
大西ライオンさんスタンバイ中。
ふと気づいたけど、酒飲みに集中しすぎて試合中の写真を撮っていない!
ということで、試合結果を
試合自体は、89-72でシーホースの勝利。
金丸選手の爆発的な得点力。シュートをうつとほとんど外さずにどんどん入れていく。おかしいくらい見てて楽しかったです。
このあとは、のんびりと帰宅の途につきました。
ただ、今年のスケジュールを見る限り、シーホースの平日開催はないので来年かなぁ。
週末に見に行くなら、住んでいるところから名古屋ドルフィンズとか見に行ってしまいますね。。。
取り立てて、どこかのファンってのはいまのところないんですよねぇ。
ただ、見てて面白いなというのが正直なところ。
アルバルクとかジェッツとかくるなら見に行きたいかなぁ。
今年もスポーツ観戦を続けていこうかなと思ってます。
(酒を飲みに行くようなものですが。。。)
パナソニック人事抗争史/岩瀬 達哉 ~人事というのはいかに難しいことか。。。~
パナソニックというと、家電の雄。マネシタともいわれるくらい先行者の後をおっかけ追い抜き、シェア首位を保つ。
それが、携帯がスマホに変わっていく、テレビがブラウン管から液晶に変わっていく中で、徐々に地位を低下させていき、いまやBtoCから、BtoBへとシフトチェンジも視野にいれて動いている。トヨタ自動車や日産といった自動車メーカーに部品納入してたりします。
このパナソニックの凋落、シフトチェンジをせずにいられなかった背景を歴代の社長を見ていくことで、紐解いています。
いやぁ、人事って難しい。そして、人の恨みって怖い。特に権力者の恨みというのはあまりにもひどい。
見ている限りでいくと、4代目社長の谷井さんがいろいろと先を見据えて手を打っていた。特に、ソフトを手に入れるという目的で手をつけた映画配給会社のMCAの買収。ハードだけでなく、ソフトでも売るというスタンスを築こうとしていた。
そんな中、ナショナルリースやら冷凍機やら、会長退任要求などで社長の地位をひきずり落とされる。
そして、次の社長森下さんが、前任の谷井さんのやっていったことをことごとくストップをかけていく。
そして、MCAがもってきたUSJの構想すらもGOをかけずに、最終的にはなくしてしまう。いまや、USJは日本一、二を競う優良なコンテンツとなっているのに。。。
また、ブラウン管に固執し、その後のプラズマや液晶の時代に切り替わっていくのが遅れていってしまう。
先見性がないのか?いや、むしろ、前任者憎し、そして、目先のことばかり考えていたというのが真実なのでは?
成長が鈍化したという名目で。。。
ここいらは紙一重だと思います。未来への投資で赤字を垂れ流していても、未来への投資をしなくても批判を受けます。そして、未来への投資を適切にしていても、トレンドと違うところに投資していても批判を受ける。
ただ、その判断をするときに、私情をはさんでしまっていたというのが最大の失敗なのではないかなと思います。
このパナソニックの一連のことで、技術の海外流出が加速し、サムスンや中国系企業の台頭を許してしまった感があります。
上に立つというのは、その時々で判断されるものもありますが、それ以上にその会社が存在し、大きく育っていくというのを見ていかないと結論がでないものなのもかもしれません。
うーん、経営者って本当に難しいなぁ。。。
なんとか継続中 連続投稿500日目達成!
気が付けば、500日を無事に達成。
前回の400日連続を達成してから100日。
旅行ネタを多めで乗り切ってきてますが、最近とんと旅行にでかけていない。いや、正確にはいけるほどの余裕がない。
夜遅くまで働いていたり、用事が入っていたりとするので、なかなか。。。
あと、放送大学のテストもあったしなぁ。。。
週末に作りだめておいて、その貯金を使い切る形でようやく。
現状、読んでいる本のストックがなくなってきているので、いつネタ切れが発生するかはなはだ恐ろしい状況になってきています。
まぁ、連続投稿が途切れたら途切れたときで、また再開すればいいかのレベルで考えています。
そういえば、年末に一番のショックなことが。。。
いままで書籍の感想のメモや読んだ履歴用に使用していたSmartShelfというアプリが終了していたということ。
決行な量をストックしていたので、茫然とした記憶があります。
なんとか復帰できたのは、Evernoteと連動していて自動で投稿してくれていたおかげです。
そういうのを考えると、デジタルサービスに頼りすぎるのは非常に怖いなと。デジタルサービスが終わった時点で、その情報はなくなるわけですから。
電子書籍とかもそうだよなと。本だったら、手元に置いておけますが、電子書籍だと場合によっては、見れなくなることもありそう。。。
会社がなくなるという可能性があることも考えると、一つのサービスに頼りすぎるのはリスクが高いなぁ。
OFFでも使用できるように適宜書き出しておくとか、複数のサービスを活用するとかうまくリスク分散をさせていかないといけないですねぇ。
うーん、読書メーターだけでなく、メディアマーカーにも記載しておくようにしておきますかねぇ。
あとは、このBlogも適宜書き出しておくとかしておかないといけないですね。
とはいえ、無事に500日到達。
次は600日と考えてます。うーん、6月のあたまぐらいに到達かな?
とりあえず、いけるところまでいってみようかと思います。