Otra célula del cerebro

気が向くままにだらだらと書いていきます。

私本太平記 婆娑羅帖/吉川英治 ~思いのほか、足利尊氏の話にならない。。。~

この帖は、ほとんど正中の変に関して。

正中の変 - Wikipedia

後の史家が、よんで、”正中の変”となす、南北朝大乱の最初の火の手は、ついにこの朝、ここに揚った。

ものすごく大事なきっかけだし、ここから鎌倉幕府の倒幕、建武の新政へとつながっていく非常に大事なところなのはわかる。

でも、足利尊氏の話は、赤橋登子との結婚の話だけ。

それも、藤夜叉がからんできて、話をややこしくしているだけのような感じがします。。。

うーん、さらっとしておいてもいいのかもとすら。

 

正中の変の話のほうが非常に気になる。

後醍醐天皇の幕府から政治を取り戻すという想いの強さが恐ろしいくらい伝わってくる。後醍醐天皇の気質は次のように書かれています。その気質に触れた公卿の方々の考えも変わっていくのだなと。

常に何かの燃焼がなければ、あり余って、持て余すような健康と智と豪気とを併せておられるような御肉体だ。

それが志を共にする公卿側近や、野に潜む宮方の輩をして、いよいよ

「時は近い」

と、理由もなく気負わせつつあったことは否みえない。

こういうのを見ていると、上に立つ者の影響力というのはすさまじいものだと思います。後醍醐天皇がでてこなければ、鎌倉幕府はもう少し長続きしたのかもしれませんから。

いや、それ以上に、後醍醐天皇がきれるような大覚寺統と、持明院統のふたつの10年ごとで天皇を擁立しあうというわけのわからない決まりがあるのが、そもそもの問題なのかも。。。やはり、中途半端な解決策は禍根を残すだけというのがわかってしまった。徹底的に物事解決はしないとダメですね。。。

解決をきちんとしたら、後醍醐天皇は少しはおとなしくしたかもしれないだろうし。。。でも、結局は暴れて好き勝手やっただろうなぁ。。。

うーん、難しい。

 

それにしても、正中の変のきっかけが夜更け過ぎに帰ってきたのを妻がとがめたのが原因というのもなぁ。。。

普通に現世でも、浮気発覚とかでありそうで怖い。。。

 

この帖の最後のほうに、楠木正成関連の話もでてくるので、ここから面白くなっていきそうです。